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2020/09/02

どんな事象であろうと、文化が違えば対応は違ってくる

 『テルマエ・ロマエ』問題では「契約のあり方を正せよ」といったものでしたが、パンデミックが始まってからも、私が日本のすべてを代表して請け負わなければいけないかのようなプレッシャーを、イタリアの家族から受けていました。そのようなやりとりのなか、自分で納得したことについては「たとえばイタリアではこうです」などと、比較モデルを世間へ提示するつもりでSNSを通して発信しています。

 自分ですべて選んだわけではなかったものの、私は日本とイタリアのほか、夫が仕事をしていたシリア、ポルトガル、アメリカのシカゴと、複数の国で生活した経験があります。香港やブラジル、キューバに長く滞在していたことも。それぞれの場所でそれぞれに違う視点が生まれました。また、異文化で育った人たちと夫婦喧嘩や家族間の討論をしてこそ、見えてくるものだってある。著作権にしろ、パンデミックにしろ、どんな事象であろうと文化に基づく対応の差異を実感する機会は、必然的に多いのです。

 体験から得た発見や海外事情を日本で公に発信すると、「海外がいい、っていう目線ばかりでモノを言って。海外がそんなに偉いわけ?」といったネガティブな反応がしばしば返ってきますが、私はイタリアだろうとアメリカだろうと日本だろうと、どこも同じくフラットな目線で見ているつもりで、決して海外至上主義者というわけではありません。

地球単位で考えていかなければならない事態が起こっている

 実際、イタリアでの感染者数がうなぎ上りになり始めたときも、一見、人間的で愛情に溢れているイタリアの家族のあり方を危惧しました。高齢者との同居率が低くないあの国で、孫たちは家に帰ってくるとすぐに祖父母にハグをして、キスをする。人としての温かさが表れた習慣ではあるけれど、この状況ではそれが裏目に出てしまうのではないかという予感がありました。

©️istock.com

 案の定、イタリアでは家庭内感染が著しく増えていきました。「高齢の父親にウイルスをうつして死なせてしまった」と自分の経験を告白し、警鐘を鳴らすイタリア人男性の動画がYouTubeに投稿されていましたが、それをイタリアの家族に共有すると「そんなこと、指摘されても仕方がない」という答えが戻ってくる。比較は無為です。海外だから、日本だからという次元ではなく、地球単位で考えていかなければならない事態が起こっている。そんなことを痛感しています。