“どん底”続きだった「広島カープ」と「阪神タイガース」。2人の異端なサラリーマンが、そんな両チームの改革に奔走し、優勝を果たすまでを追った傑作ノンフィクション『サラリーマン球団社長』(清武英利 著)が8月26日に発売された。
知られざる秘話に満ちた本書だが、とりわけ2015年に“男気”黒田博樹がメジャーからカープに復帰するまでの内幕を描き出したことでも話題になっている。広島カープの常務取締役球団本部長・鈴木清明氏の証言を【第13章 枯れたリーダー】より一部を転載する。(全2回の1回目/後編に続く)
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メジャーで進化を続ける黒田選手
ドジャー・スタジアムは、ロサンゼルス・ドジャースのホーム球場で、その空はたいてい、青一色にひろく晴れ渡っている。2009年の第2回WBC決勝戦で、「侍ジャパン」のイチローが伝説的な決勝打を放った舞台でもある。
その決勝戦の翌年9月23日、バックネット裏正面席には、カープの鈴木がいた。彼の視線の先で、ドジャースの先発・黒田が力投を続けている。
黒田の直球は球速150キロを超えた。フォークやスライダーも切れ、8回を1失点に抑えて自己最多の11勝目を挙げた。
鈴木は目を見張った。
──なんだ、広島時代より進化している! バリバリだ。
鈴木は隣の席に声をかけた。駐米スカウトのエリック・シュールストロムがいた。
「これじゃ、来季の広島復帰は難しいかもしれんな」
黒田がメジャーに挑戦するとき、鈴木は「お前がバリバリでは、広島に帰ってこさせることができない、でもボロボロでは帰ってくるなよ」と声を掛けていた。その黒田はメジャーに対応して成長していた。35歳でまだ進化を続けているのか。
カープ時代は剛球とフォークでねじ伏せていたが、日本での成功パターンを捨てて、アメリカ野球を受け入れていた。ツーシームやカットボールなど持ち球を増やし、相手を見ながら内外に緩急を付け、テクニックで抑えているのだ。
様子を見にきたものの……
黒田はカープからドジャースに移籍して3年目、契約の最終年を迎えている。鈴木は広島に戻って来てほしくて、黒田が帰国するたびに会ったり、国際電話をかけたりしていた。そして、とうとう米国西海岸まで様子を見にきたのだった。
ただし、万一にも不正交渉の疑いをかけられないよう、事前に日本プロ野球コミッショナー事務局に渡米の届けを出している。そして、黒田の視線の届く正面席に座って、鈴木は「ここにきているぞ」と目で話しかけていたから、日本の記者に視察は丸見えだった。
鈴木は黒田に挨拶すらしなかった。記者に捕まると、「コメントは差し控えます」と逃げるように球場から去っている。黒田は後で「マウンドから見えていましたよ」と笑ったが、今日の投球は素晴らし過ぎた。
──とてもメジャー球団が手放さない。
と鈴木は思った。果たして数球団の争奪戦に発展し、年が明けるとヤンキースに移籍した。