黒田はカープからメジャーに挑戦して7年が過ぎようとしている。2014年シーズンもヤンキースでただ1人、先発ローテーションを守り、11勝を挙げた。ヤンキースでの年俸は1600万ドル(約19億2000万円)。翌年もヤンキースや古巣のドジャース、パドレスが、20億円近い額を提示していると報じられていた。
その彼も間もなく40歳になる。
──黒田の年齢や性格からして、次のメジャー球団で良い成績を出せなかったら引退してしまうな。
鈴木はそう感じていた。黒田のためにずっと背番号15を空けて待っていたものの、2014年オフがカープ復帰の最後のチャンスになると腹をくくっていた。
「帰ってきてくれるなら、ファックスで送ってくれ」
黒田は12月に広島に滞在していて、24日のクリスマスイブには鈴木と話し合っている。黒田は、大リーグ残留か、カープ復帰かで迷っていた。そして、滞在を少し延ばそうとしていたので、鈴木は「クリスマスは、アメリカに帰って家族と過ごせよ」と言って送り出したのだった。
別れる際、日本プロ野球の統一契約書を渡して、「もしカープに帰ってきてくれるならば、これにサインをしてファックスで送ってくれ」と頼んでいた。カープとしての来季年俸額が記入してあった。「帰ります」という電話があったのはそれからたった2日後だったので、鈴木は少し混乱したのである。
ファックスの前で鈴木は落ち着かなかった。黒田のサインした統一契約書が届くはずだった。黒田は口に出せばそれを守る男だが、ファックスが来れば確約だ。
ピー。時折、他のファックスが入ってきた。鈴木は職員に指示をした。
「当分、誰もファックスを使わないでくれ!」
そしてとうとう、それは来た。ファックスを受け取り、黒田に確認の電話を入れると、鈴木は球団事務所の2階に駆け上がった。オーナー室と総務、営業、販売のフロアがある。(松田)元は奥の方で職員と話しており、飛び込んできた鈴木と視線が合った。鈴木はファックスを手に、両手で大きくマルを作った。その合図で黒田が帰ってくる、とわかったようだ。
翌々日の新聞では、元が慌てて手にしていた飲み物をこぼした、と書かれていたが、鈴木には、統一契約書を手に満面の笑みを浮かべた元の記憶が残っているだけだ。鈴木はその電話の着信履歴を保存するために、スマホの機種変更をした。記録そのものが彼の宝になった。
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この記事の全文は『サラリーマン球団社長』(文藝春秋)に収録されています。