1ページ目から読む
3/4ページ目

 黒田はその年も10勝、翌年も13勝を挙げて3年連続2桁勝利に輝き、2005年には最多勝利、06年には最優秀防御率のタイトルを獲った。球界再編騒動が起きた04年のオフには、広島の選手会長に就き、選手たちにファンサービスを呼びかける存在となった。

あとひとつ、チームに足りないもの

 靖子の葬儀からもう8年が過ぎている。長い付き合いだ。だからこそ聞けることがあった。

──あとひとつチームに足りないものがある。一体、それはどうしたら得られるのだろうか。

ADVERTISEMENT

 鈴木は黒田が日本に帰国するたびにその疑問を投げかけ、気心の知れた緒方とも意見を交わした。

 黒田は精神論を言い、緒方はいつもチーム作りの具体論を語った。緒方はこうだ。

「野球はピッチャーですよ。いいピッチャーを獲って下さい。野手は作れますから。球団にカネがないなら、素材のいい選手を取って育てましょうよ。他球団とおなじことをしたら、カープの価値がなくなりますからね」

 その言葉通り、緒方、金本、江藤、前田、新井といった広島の看板打者は、いずれもドラフト3位から6位で入団している。

 一方の黒田は「みんなの気持ちが一つにならないとだめですよ」と言った。

「僕自身、自分に勝ち星がついても、チームがひとつになっていなければうれしくないです」

 投手と野手の一体感──それが勝つための必須条件だということは頭ではわかるが、それは鈴木の手に余ることだった。

──野球は個の力があってこそだ。その個の力をどう繫げていくか、どう和を保って力を一点に集中させるかだろう。チームが負けていくと、不協和音は野手の側から出やすい。だが、打てなくても投手はあまり不満をあからさまにしない。だからこそ、投手力のある方がチームとしても和を保ち、粘り強さにつなげることができるのかもしれない。

 鈴木はこうも思っていた。個々の力を撚り合わせ太い綱へと編み上げるものは、黒田のような存在だろう。何としても彼をカープに戻さなければならない。それが彼に惹かれる一番の理由だった。

(中略)

カープの本拠地マツダスタジアム ©️文藝春秋

「僕は帰ります!」

 その電話の声は、驚くほど鮮やかに耳に残っている。

 鈴木は、マツダスタジアムの1階にあるカープの球団事務所にいた。新井がタイガースを自由契約になって22日後、2014年12月26日のことだ。

 時間まで覚えている。午前10時11分だった。

 ニューヨーク・ヤンキースの黒田は国際電話で、確かにこう言ったのだ。

「僕は帰ります!」

 鈴木は、えっ、と反射的に応えた。

「ドジャースか? パドレスか?」

 帰る、という言葉を聞いて、家族の住む米国西海岸のチームに戻るのか、と一瞬思ったのだ。西海岸には、黒田がかつて所属したロサンゼルス・ドジャースがあり、その南にはサンディエゴ・パドレスがある。

「カープですよ」

 鈴木は「ありがとう!」と大きな声で叫んだ。その後は何を話したのかよく覚えていない。16分56秒も会話していたのに。