“どん底”続きだった「広島カープ」と「阪神タイガース」。2人の異端なサラリーマンが、そんな両チームの改革に奔走し、優勝を果たすまでを追った傑作ノンフィクション『サラリーマン球団社長』(清武英利 著)が8月26日に発売された。
本書は、旅行会社に勤め、野球とは無縁だった野崎勝義氏が、ある日、突然、タイガースへの出向を命じられる場面から始まる。【第1章 傍流者の出向】より一部を転載する。(全2回の2回目/前編から続く)
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「タイガースに行くことになったよ」
午後4時過ぎ、夕食の支度にかかろうかというときに電話が鳴って、野崎艶子は台所の受話器を上げた。夫の勝義からだ。会社から自宅に電話してくることはめったにないことなので、いぶかしんでいると、
「タイガースに行くことになったよ」
と受話器の向こうから落胆の声が漏れた。出向を告げられたというのである。
阪神電鉄本社の人事担当専務、寺島正博から呼ばれ、
「来月から、タイガースの常務取締役として働いてもらおうと思ってね」
と申し渡されたのである。阪神淡路大震災の翌年にあたる1996年6月18日、火曜日のことだった。
ええっ、という驚きが去ると、艶子は思わず漏らしてしまった。
「そら、大変やね」
野の向日葵のように、艶子は陽性である。小さめの口はたいてい柔らかく笑っている。兵庫県加古川市の兼業農家に生まれ、162センチの均整のとれた上体と素朴な明るさを身につけていた。学生時代はバレーボールの選手だ。いまも車を運転して夫をあちこちに送って行ったりして、いつも体を動かしている。
「おまえは田舎の健康優良児やなあ」
夫はよくからかうのだ。3人きょうだいで、家を継いだ兄は熱烈な巨人党、弟はタイガースファンである。艶子は兄の影響を受け、テレビ放映の多かった巨人びいきだった。
一方の野崎は背を少し丸めて歩く癖があり、168センチの背丈より小さく映る。長いサラリーマン生活が自然に頭を低くさせるのだが、見栄を張るのを嫌う気性も加わって、年齢より老けて見られることが多い。
──あれま、お父さんはタイガースの人にならはるわ。上司に睨まれていたせいやろか。
艶子は心配が先に立った。タイガースは低迷が続いているのだ。