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野球とは無縁だったのに……突然、タイガース出向を命じられたサラリーマンの憂鬱

『サラリーマン球団社長』 阪神タイガース編

2020/08/27
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野球にも球団にも関心なし

 野崎は、阪神電気鉄道航空営業本部旅行部──通称阪神航空の旅行部長である。神戸市外国語大学を卒業し、1965(昭和40)年に電鉄に入社して以来、31年間、1度も転部することなく航空営業一筋に歩んできた。

 商戦の相手は、JTBや日本旅行、近畿日本ツーリストといった大手旅行代理店である。阪神航空の部員数は200人。1万人のJTBなどに比べると弱小というしかなく、野崎は赤字の可能性がある大規模な海外ツアーや航空機チャーター便をあえて引き受け、リスクを取って業績を伸ばして来た。アフリカや中近東など査証手続きの難しい国への出張を手配する業務渡航や、中央省庁や大企業の海外業務旅行に傾注したり、スペイン、イタリアなどに行先を絞ったツアーに活路を見出したりしたのも、彼とその部下のアイデアである。

©️iStock.com

 ──そんな旅行マンの自分がなぜ、タイガースなのか?

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 悄然とした野崎に対し、電話口の艶子は屈託がない。心がいつまでも沈む質ではないのである。

「タイガースはぶっちぎりで弱いもんね。でも、もともとがダメ虎いうて成績の悪い球団やから、これ以上悪くならへんよ。一つでも上がればいいやない」

 彼女の眼に、タイガースはセ・リーグ最下位どころか、パ・リーグを加えた12球団で見ても実力はどん尻に映っている。そんなチームに加わって、大丈夫やろか、と思ってはいたが、一方ではこうも考えることができた。

 ──それはもう落ちるところはあらへん、ということや。

 話しているうちに、艶子の口調は慰めるようなものになっていた。

「それに、お父さんも単身赴任が長かったから、こっちに帰ってくる方がええわ。ようやっと、単身生活が終わるしなあ」

 野崎は阪神航空で海外添乗員までこなした後、10年前から東京に単身赴任し、いまも週のうち4日は東京、3日は大阪という日々を送っている。酒は飲まず、仕事以外で遅く帰ることはない。賭け事や女遊びをするわけでもなし、硬骨の真面目一辺倒は好ましいことではあるのだが、艶子から見れば、魂の大半は仕事に向かい、残るわずかな関心も、少し離れたところに住む母親に向いている。野崎の母親は体が弱いのである。たまの日曜日もその介護や面倒見に出かけ、艶子が何か口をはさむと、

「嫁は取っ替えられても、親は替えられへんしなあ」

 しゃあしゃあと言い返したりする。

 2人の子供を育てあげた艶子は、うちは母子家庭みたいや、とあきらめかけていたところで、夫の渋々の球団出向も単身赴任や出張続きの生活からようやく脱することにつながる、家に落ち着いてくれるかもしれない、と考えることができた。