資金力はあってもBクラス常連のタイガース
プロ野球は2つのリーグで各6チームがペナントレースを競うから、リーグ優勝の確率は6分の1なのだが、タイガースはセントラル・リーグで10年間も優勝から遠ざかっている。資金力はあるのにBクラスの常連なのである。球界七不思議のひとつだった。
タイガースは、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場を本拠地としている。前年の1995年シーズンは、近畿圏が阪神淡路大震災でマグニチュード7.3の直撃を受けた直後だったから、「いまこそわれらのタイガースが関西復興のシンボルとして奮い立て」と全国のファンがこぞって訴えた。ところが、監督の中村勝広に率いられたチームは、なんと46勝84敗の最下位で、優勝した東京のヤクルトスワローズには36ゲーム差をつけられてしまった。
千葉ロッテマリーンズの監督だったボビー・バレンタインは、連敗で最下位に転落したとき、群がる記者に向かって、
「もし明日がシーズンの最終日なら悪い知らせだが、今のところは順位など関係ないよ。シーズンが終わるころには半分は勝っている。それがプロの野球というものなんだ」
とやり込めたのだが、1995年の阪神は勝率5割どころか、わずか3割5分4厘だから、惨敗の上に大を付けても差し支えない。
この年、パシフィック・リーグで優勝したのは、同じ兵庫県を本拠地とするオリックスであったから、うちのタイガースは情けないわ、というファンの思いは募るばかりだ。あちらは監督の仰木彬がイチローたちを率いて、「がんばろうKOBE」を合言葉に頑張り抜いた。こちらのタイガースは、そもそも5割も勝てないシーズンが3年も続いている。さすがに翌96年は、藤田平に監督をすげ替えて浮上を期したが、やはり最下位まっしぐら、不名誉な4年連続Bクラスはまず動かないというところである。
「お父さんは野球、大丈夫なん?」
艶子に問われた野崎は、球団出向など冗談やない、と思っていた。興行の世界がうさん臭く思えていたのである。
──新聞で知る限り、いまの球団の内部はよほどただれてるんやろう。いいイメージを持てという方が無理や。
旧満州から引き揚げた父親の耕が戦後、阪急電鉄の事業部阪急西宮球場に社員として採用されていた。それで阪急ブレーブスには好感を持っていたが、それも兵庫県西宮市にあった西宮球場に数回観戦に行った程度である。野球が好きな艶子と違って、子供のころに道端で三角ベースの野球をして遊んでいた記憶があるくらいで、野球にも球団にも関心がなかった。
(中略)