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連載昭和事件史

「私はろう者ですから、許してくれるかも」なぜ、19歳の青年は“狂気の連続殺人犯”になってしまったのか

太平洋戦争開戦前後に起こった、狂気の連続殺人事件とは #2

2020/08/30
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「聾唖に完全な責任能力を認めることは不適当と信ずる」

 鑑定結果によると、誠策は記憶力に異常はない。普通の日常知識を一応持っている。聾唖学校で首席だったことは知的素質の不良でないことを示す。しかし、彼の知識の大部分は具体的なものに限られるという。

「手話法によって教授する聾唖学校の中等部に入ったため、口話法によるほど完全な教育を受けることはできなかった。相当多数の漢字を読み書きできるようにはなったが、しかし、一般的知識はこれに伴わず、極めて不均衡、不自然な知識を持っているにすぎない。また、思考力についてみても、概念の構成、とりわけ抽象的能力がいちじるしく劣り、従って道徳的観念の構成も非常に幼稚である。このことは、前記の私との問答中によく示されている。あのような考え方は、正常に発育し、正常な教育を受けた成年男子からは決して聞くことができない。しかし、少しく聾唖の精神教育の特異性を考えるならば、これは彼の生来の知的素質が低いためではなく、全く彼の聾唖者としての生活と教育の結果であることが分かるであろう」(「精神鑑定」)

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 鑑定では誠策の性格を「著しい偏綺(ひどく風変わりなこと)があった」とした。「犯行後も平然としてほとんど悔悟の色もなく、ただ金円強奪の目的を達しなかったことを遺憾として、さらに次の新しい計画を進めているほどである。また彼は普段から家族に対する親愛の情がなく、一途に利己的に行動していたという。一般に感情の表れが少なく、当然感情が動揺すべき場合にも冷静、水のような態度を示したことは、毎回の鑑定に当たり、私たちも極めて異様に感じたことであった」。

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 遺伝的素質を合わせて考えるべきであるとしたうえで、「要するに、彼の精神状態は、生来的性格の方面と聾唖教育の方面とに欠陥がある。これら両者は相まって徳性の欠陥を増長させ、その結果、この稀有な犯罪を構成したと理解される」と判断。「私たちは、彼の場合の聾唖に完全な責任能力を認めることは不適当と信ずる」「心神耗弱を至当とすることを確信を持って答えたい」と鑑定は断じた。

残念だったことは「生き返ったということを聞いた時でした」

 裁判になってからのこの事件の扱いは明らかに小さい。1944年2月8日付静岡新聞夕刊(このころには、新聞各紙の夕刊は日付け通りになっている)には「殺人犯と喜悲感」という見出しに、2段の記事が載っている。それ以前の公判の記事が見当たらないが、この日が第3回公判。「廊下にまであふれた満員の一般傍聴席の中には、凶刃をあびた芸妓君龍こと川村正子さんをはじめ、魔手に倒れた遺族らの姿も見受けられた。被告は劈頭(冒頭)前回の公判で言い渡した、生い立ちについて申し述べたいと希望し、約30分間にわたり、手まねも鮮やかに不具者としての半生を物語った」。東京聾唖学校教授の「通訳」が入ったようだ。