事件や事故で大事な人を亡くした時、遺族にとって最も辛いことのひとつに、「ご遺体との対面」がある。亡くなり方によって、ご遺体の状況は異なる。目立った損傷がなく、まるで眠っているようにしか見えない場合もあれば、医師や警察から「見ない方がいい」と言われるほど損傷が激しい場合もある。
しかし、いずれも亡くなるのはある日突然のこと。遺族の頭の中には、元気だった頃の生き生きとした表情が焼き付いている。それなのに、目の前のご遺体に向かって何度名前を呼んでも、返事はない。
ご遺体の写真は最重要証拠
「たった5分前に、ランドセルを背負って元気に出かけて行ったのに」
「これから帰るよ、とさっきメールが来たのに、なぜ?」
ご遺体を前に、もう二度と戻ってこないのだ、という現実を突きつけられる。「殺したのは誰だ。なぜこんな目に遭わせたのか。絶対に許せない」という気持ちが湧きあがるのは当然だ。
刑事事件として立件する場合、警察はご遺体の写真を撮影する。司法解剖が行われる時は、その様子も写真撮影し、証拠化する。ご遺体の状況によって、被害者がどのようにして亡くなったのか、つまり加害者の犯行態様が明らかになる。写真は、客観的・機械的に再現するもので、作為が入り込む余地がないから、特に犯行の執拗性や残虐性を立証する場合は、最も重要な証拠となる。
裁判所が過度に重視する「裁判員の負担軽減」
ところが、裁判員裁判では、この最重要証拠を証拠として提出できない事態が続いている。「裁判員の負担軽減」という理由である。
平成25(2013)年に行われた強盗殺人事件の裁判員裁判で、裁判員の女性が、殺害された夫婦の残忍なご遺体の写真を見て、さらに消防への通報に残された被害者の叫び声を聞いてPTSDを発症したことを理由として国家賠償請求訴訟を起こした。最高裁まで争って女性は敗訴したが、それをきっかけに、裁判所はあっという間にほぼ全国一斉に、ご遺体の写真を裁判員に見せなくなってしまった。
確かに、日ごろ刑事事件と縁遠い生活をしている人にとって、殺人事件のご遺体を見る機会はないから、ご遺体の写真を目の当たりにすることは相当にショックが大きいであろう。私も司法修習生になって、初めて事件のご遺体の写真を見た。その際は、「法曹を目指す者として、証拠はきちんと見なければならない」という緊張感と覚悟があり、特に体調不良などはなかった。これまでにも、他の司法修習生や検察官、裁判官がご遺体の写真を見てPTSDになったという話は聞いたことがない。