親や先生の言うことを聞かない、学校生活に馴染めない、こだわりが強すぎる……。そんな子どもが身近にいる場合、大人は何をしてやれるのでしょうか。
東大先端科学技術研究センターで「異才発掘プロジェクト ROCKET」のディレクターを務める中邑教授は、「学習に遅れが見られる子どもには、特定の分野に困難を抱えているものの、知能が低いわけではない子が相当数、存在する。彼らをそのままにして、適切な学習の機会を奪ってはならない」と話します。
中邑教授が上梓した『育てにくい子は、挑発して伸ばす』から、知能をフェアに判断することの根本について考えます。
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そもそも、頭がいいとはどういうことでしょうか? 「知能指数が高ければ頭がいい」ということに異議を唱える人は多くはないでしょう。しかし、知能検査がどのような問題で構成され、そこから知能指数がどのように導きだされるかを知る人は多くありません。
代表的な知能検査である WISC‐Ⅳの場合を見てみると、言語理解・知覚推理・ワーキングメモリー・処理速度を指標として、類似・単語・理解・数唱・積み木などの様々な下位検査から構成されています。多くの人は「知能検査で測定するものが知能である」という操作的定義に従っているにすぎません。「環境に適応する能力に比例して知能は高くなる」とする知能定義もありますが、WISC‐Ⅳは、学校教育に適応し現代社会を生き抜く能力を計っていると言えます。
社会のあり様が変われば、またそこで求められる能力は変わってくるはずです。現在のようなサービス産業が主体の社会ではなく、縄文時代のように狩猟が主要産業となれば、今の知能検査で「知能指数が高い」と判断されるような能力は、全く役に立たないものになってしまいます。
コンピューターやインターネットを活用すれば、これまでの人間の能力が、ずいぶん肩代わりできます。記憶はクラウド上にある様々な情報を端末で引き出すことができれば、覚えていなくても何も不自由しません。一時的なメモは写真や録音機能で補えるし、パスワードさえ覚えていなくても指紋や顔認証でカバーできるようになってきています。漢字を覚えていなくてもワープロを使えば綺麗に書けますし、文字を読むことが困難な人なら読み上げ機能を使って、耳から聞いて文章を理解することも可能です。休日に出かけるのに地図帳とにらめっこする人は少なくなったと思います。カーナビをセットするだけで、目的地までの最適なルートを決めてくれるわけですから。さらに人工知能(AI)が社会の色々な部分に組み込まれ、推論や意思判断が必要とされる分野にさえ、活用されるようになってきています。スマホやタブレットを持ち歩いていれば認知や記憶に苦手な部分があっても、何も不自由しないわけです。
なのに、残念ながら、教育の場ではまだ、それが認められていません。裸で勝負することを求められ、他の子どもが努力することなくできることに毎日、何時間も格闘している子どもがいます。
眼科領域でいう視力は、矯正視力のことで、裸眼視力は問題にされていません。それは目の悪い人が眼鏡やコンタクトレンズで矯正するのは社会的コンセンサスが得られているからです。残念ながら知能に関しては裸知能が当たり前で、矯正知能は認められていません。困難を抱える子どもたちには、ICT(Information and Communication Technology)機器で能力の肩代わりをするのが一番です。すると、彼らは自分の頭が悪いと感じて、劣等感に苦しむ必要はなくなるでしょう。