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逮捕直前、3カ月ぶりに息子と会った

——最後に晃史容疑者と会ったのは?

「逮捕されたのは、(9月5日未明)夜中でしたが、その前日の昼間に私の家に来ていました。(近所の)ファミレスでご飯を食べて、ちょうど家にケーキがあったものだから、うちに上がって普通に食べていた。一時期は私との会話も難しい激しい時期もあったが、最近は柔らかくなり、普通に会話ができ、少しずつ社会性がついてきたのかなと安心していたのですが……。逮捕される直前の夜の出来事で、『もう夜も遅いから帰る』ということで。めったには会わないけど、たまたま3カ月ぶりに会ったんです」

——最後に会ったときに変わったことは?

「最近は比較的いい状態だったので、この子も落ち着いてきたんだなと思って、まさか女の子が家にいたなんて、と。警察から電話が来た時も何を言っているのか、わからなくて。何をやったんだろうと」

——お金の援助はしていた?

「私はしていないです」

——晃史容疑者と別々に住まわれている理由は暴力ですか?

「そうです。そういうことがあったので」

横浜・青葉署に入る大竹晃史容疑者9月5日午前5時1分 ©共同通信社

7年くらい前から蹴ったり叩いたりの家庭内暴力

——どのようなときに暴力を受けたのですか?

「7年ぐらい前からの話です。基本的に暴力を振るうような子じゃなかったけど、息子自身が自分の中で抱え込んでいるものをきっとうまく表現できなくて、自分流の表現の仕方が、周りに理解してもらえない、そこでまた落ち込み、心の闇に入ってしまう、内向的なところで抱え込んでいて。それがだんだん言葉が強くなり、エスカレートし、蹴ったり叩いたりといった暴力に繋がった。

 カウンセリングに連れていくこと自体も大変でした。本人は自分がおかしいと思っていないから、『精神病扱いしやがって』『お前がおかしいんじゃないのか』などと言われるから、じゃあお母さんもおかしいと思うから一緒にいこうと。その連れていくプロセスでもいろんなエネルギーをつかってはじめて頑張って連れていったけど。それなりにちゃんとしたところに連れて行っても、発狂するわけでもないし、ある程度の場面ではちゃんとできる子だからということで、カウンセリングの病院と連絡先が載ったようなリストの紙をもらっただけで、全然ちゃんと診断もしてもらえなかった」

——別居してからの晃史容疑者の様子は?

「少し前に、突然電話がかかってきて、本人から『鬱かもしれないし、病院にも行くし、ゲームもやめる』と。ずっとゲームをやっていて自分でもおかしくなっているのを自覚しているような言い方をしていました。『ハローワークに行って、仕事をすれば体調がよくなるから』と突然言われた。そんなこともあったので、知り合いの精神科も予約したんですけど、予約がとれない間に、本人も『ハローワークに行った方が早い』と(言っていた)。病院の受付の人には、『また新しい職場でうまくいかないかもしれないし、傷つくことがあるかもしれないから、まずはちゃんと調べた方がいいのでは』と言われました。本人がやろうとしているのを止めるのが一番よくないとは思っているんだけど、そうこうしているうちに年末になってしまって。そこの病院にも年末年明けには行けたけど、ちゃんとした結論はもらっていません。でもそうこうしているうちに就職してしまって、本人的にも仕事が始まったので、もう(病院には)行けないと」

大竹容疑者は「女児とはオンラインゲームで知り合った」と供述しているという(写真はイメージ。本文とは関係ありません) ©iStock