改札を出ると「勝田台」が
そうして中野駅から約1時間と10分。地下鉄の如く地下にホームを持つ東葉勝田台駅に到着する。階段を登って地下1階のコンコースに出て改札を抜けると、すぐ目の前に京成本線の勝田台駅の改札口があった。そう、この東葉勝田台駅は、京成本線の立場で見ればごくありふれた途中駅なのだ。それも、すべての列車が停車する立派なターミナル。実際、帰宅途中の高校生をはじめ、多くの人が駅の構内を行き交っていた。いつものことながら、遠くから勝手にナゾ扱いしてスミマセンでした……。
広がる「団地に次ぐ団地」
さて、地下に埋もれた改札口の周りだけをうろうろしていても仕方がないので、外に出ることにする。多くの人が向かっていく南口が先だ。
南口には駅前の大きな広場を取り囲むようにして高層階が団地になっているようなビルが建ち並んでいる。正面にはビジネスホテルと思しきものも。そして駅前のメイン通りの両サイドにも団地、その奥の緑に茂ったあたりも団地。とにかく、団地に次ぐ団地。それが東葉勝田台駅の姿である。駅名に「台」が付く場合は、たいてい周辺に高度経済成長期以降開発された団地群があるものだ。東葉勝田台駅(勝田台駅)も例に漏れず、まさしく団地の町だった。
今も息づく個性豊かな“昭和”
東葉勝田台駅は千葉県八千代市にある。下総台地上に広がる八千代市は、我が国の住宅団地発祥の地だという八千代台をはじめ、多くの住宅団地があることで知られる。八千代台団地の完成は1957年のこと。それから約10年遅れて1968年に勝田台団地の入居がはじまった。勝田台駅も同じ年に開業。そしてそれまで「勝田」と呼ばれていた一帯の町名を「勝田台」と改めた。夢の大型団地に清新なイメージを与えるべく、地名をリニューアルしたということだろうか。
ただ、そうして団地の町を笑うのは間違っている。全国的にもそうであるように、この時代に築かれた団地群ももはや誕生から半世紀。昭和30年代を懐かしむ人もいるが、まさに勝田台のような団地にも昭和の街並みが今に残っているのだ。上層部が団地になっている大通り沿いのビルも、1階には絶妙に古びた商店が入る。だいたいはお馴染みのチェーン店に入れ替わっているが、中には団地ができたときからあったのではと思しき店もある。
そして真骨頂は、大通りから少し傍に入った道筋にあった。地方都市にもあるような、ザ・昭和の飲み屋街やナイトパブ、雀荘、カラオケ喫茶にラーメン店。チェーン店は少なく、昼からやっているらしき店の中を覗けば地元のオジさんたちが赤ら顔。東京都心から約1時間と離れているだけあって、職場のある都心で呑むと帰宅が不安。だから地元の駅の近くでちょっと一杯、というのが昭和のスタイルだったのだろう。それが今も、勝田台の駅前に残っていた。