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北口は新しい町並みだが…

 昭和の面影の勝田台の夜の町を後にして、北口に回ってみる。京成の線路沿いに西に向かって少し歩くと、それまでは地上を走っていたはずの線路が掘割の中に入っていく。意外に起伏に富んだ下総台地ならではの光景ではないか。その掘割を跨ぐ跨線橋から北口側に出る。北口は勝田台団地のある南口と比べると新しい町なのだろう。それでも、駅前の目抜き通りにはいくつかの商店が並ぶ。

いくつかの商店が並ぶ南口より新しい町並み(筆者撮影)

 そして駅前で目抜き通りと交差しているのが国道296号だ。交差点のすぐ東に八千代市と佐倉市の境界を示す看板。クルマ通りも人通りもなかなかに多く、国道296号がこの一帯の重要な通りであることをうかがわせる。

八千代市と佐倉市の境界は駅のすぐそばにある(筆者撮影)

一帯を支え続けた江戸時代のルーツ

 調べてみると、国道296号はまたの名を「成田街道」というらしい。都心から成田へ向かう街道(そのままですが)で、鉄道が通る前、すなわち江戸時代などには成田山新勝寺に参詣する人たちが行き交った通りにルーツがあるという。今の八千代市内にも大和田に宿場町があった。新田開発も思うように進まなかったという近世の八千代市域は、この街道筋と宿場でもっていたような一帯なのだ。明治に入ると県内随一の養蚕地域となるが、昭和に入ってそれも廃れ、入れ替わるようにして戦後生まれたのが住宅団地。勝田台駅の北を少し行くと工業団地もあるようだ。

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 比較的東京に近い千葉県の北総地域一帯は、東京のベッドタウンとして存在感を示してきた。台地上の団地群はその象徴。勝田台をはじめとする八千代市内の団地はその第一歩を刻んだ存在といっていい。そして成田街道は今の京成線や総武線に通じる成田山参詣ルート。もうひとついえば、千葉県特産でふなっしーでもお馴染みの梨の生産、大正初期に現八千代市内でたった2戸の農家がはじめたことがきっかけになっているという……。うーむ、ナゾの終着駅、東葉勝田台も訪れてみればなかなかに奥深いものであった。