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役人から理屈を説明されるのが嫌い

「07年当時、税務局長だった河野さんは菅さんに指示され、やむなく寄付金税制を使う方法を考えたのですが、研究会の報告書ではすでに“お土産問題”のおかしさを指摘しています。さすがにあの時点では法で規制する問題ではないという判断でしたが、目に余る場合は法で規制することもありうべし、ともされた。それで菅さんは河野さんがずっと抵抗し続けたと思ってきたのでしょう」

 1975年に東大法学部を卒業して旧自治省入りした河野は06年7月、官房審議官から自治税務局長に就任。ふるさと納税の創設を指示されたが、そこで菅とぶつかった。平嶋が続ける。

「本来、議会制民主主義では、有権者が選挙で選ばれた議員の決定に従うことが基本です。納税者が自分勝手に税金の使い道を決めれば、利益を受けられる部分だけに税を納める事態になりかねない。それは税制として間違っていると河野さんは指摘したわけです。で、苦肉の策として税制そのものではなく、寄付金制度をいじればできるんじゃないか、と考えた。でも菅さんは納税という言葉にこだわり、そこからずっと河野嫌いになった。役人から『理屈はこうなっている』と説明されるのが嫌いな人なんです。

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国を訴えた泉佐野市の千代松大耕市長

 河野さんはすごく優秀な方で、しかも閨閥もある。旧自治事務次官、鹿児島県知事から参議院議員に転出した鎌田要人(かなめ)さんの娘婿で、河野さんは次の人事で自治財政局長、さらに次官と駆け上るはずだった。ところが財政局長になれず、結局消防庁長官で終わってしまった。これも菅さんの人事だといわれています」

 自治財政局長は事務次官の登竜門とされる重要ポストだ。07年7月人事で代ってそこに就いたのが、菅のお気に入りの統括審議官、久保信保だった。菅は河野と同期入省の久保をことのほか買ってきたという。

「自治省から広島県へ出向した期間がものすごく長い久保さんは、広島選出の中川秀直代議士と親しくなった。で、菅さんが総務大臣になったとき、中川さんが『困ったことがあったら久保君に相談したらいい』と推薦したそうです。以来、久保さんは菅さんの相談に乗ってきた。その関係から河野さんを外し、久保さんを財政局長に差し替えたと言われています。もともと久保さんは交付税などおカネを扱う財政局の仕事をやったことがない。逆に菅さんは、ありえないような人事をおこなえば、皆が俺の言うことを聞く、と考えたのではないでしょうか」

 河野自身に会うと、やはり口が重い。

「たしかにいろいろありましたけど、もう引退したから、何も言いません。現役に迷惑をかけてもいけないから」

 ふるさと納税はまさに大臣の看板政策として08年にスタートした。が、しばらくはさっぱり振るわなかった。皮肉にも寄付が増え始めたきっかけが11年の東日本大震災だ。震災復興支援の地元産品に人気が出て、そこに便乗した全国の自治体が高額返礼品をPRし始めた。すると、10年に67億円だった寄付金総額が、一挙に650億円近くに跳ね上がったのである。