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「俺の意図に応えてくれ」

 平嶋が、本のコピーを広げながら言葉に力をこめる。

「私としては、『国民に消費税の引き上げをお願いしておきながら、逆に高額納税者の節税対策みたいな枠を広げるつもりですか?』という気持ちでした。実際、それに近いことを口走ってしまいました。でも菅さんは『俺の意図に応えてくれ、本当に地元に貢献したいと寄付してくれる人を俺は何人も知ってる。こんな奴ばかりじゃない』というばかりなのです。もうこれは駄目だなと思いました」

 菅は平嶋の助言に耳を傾けようとしなかった。

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「私の提案はすべて却下されたので、やむなく本のコピーをレク資料としてクリアファイルに入れ、置いて帰りました。そうすれば読んでくれるかなと思ったけど、甘かった。すぐに内閣官房の職員がコピーを返しに来ました。それだけでなく、当時の大石(利雄)次官から電話がかかってくるし、前の岡崎(浩巳)次官まで私のところに飛んできた。『気持ちは分かるが、お前だけの問題じゃなくなるから矛を収めろ』と宥めるのです」

 やむなく控除の上限倍増とワンストップ特例の両方を呑んだ。だがそれでも、菅の怒りは収まらない。

「最後に怒られたのがワンストップ特例の件でした。『ちょっと時間がかかりますけど、マイナンバーを使ってやらせていただきたいんです』と申し上げたら、『時間がかかる? 駄目だ。すぐにやれ』と怒鳴られてしまいました。ここまで来ると、覚悟しました。こんなに逆らう奴を放置すれば沽券にかかわる、という空気がヒシヒシと伝わってきていましたから」

 平嶋はそのあと、官房長官執務室に出向いた。それが、冒頭の14年12月5日の場面だ。奇しくもその3日前の2日に衆院選が公示。選挙モードの菅は平嶋の態度に怒りを増幅させた。

高市大臣から「謝りに行っておいでよ」

高市早苗総務大臣

「年が明けると、高市総務大臣が『年末に官房長官と何があったのよ。謝りに行っておいでよ』と心配してくれました。でも、許してもらえる空気ではありませんし、なによりそこまでしたくない。そして、夏の人事で自治税務局長から自治大学校長に異動になりました。かなり異例の人事なので、挨拶に行った先々でOBや先輩たちから『本当は(自治)行政局長になるはずだったのに』といわれました。同じ局長でも指定職三級と四級の違いで、行政局長就任だと昇格になる。真相はわかりませんが、人事案を見た菅さんが私に昇格印が付いているのを嫌がったんだ、と……」

 一方、総務大臣だった高市からは、こう言われたと明かす。

「自治大学校長になる辞令交付式の際、皆の前で高市大臣からは『はよ、戻ってきいや』と関西弁で励まされました。そのあと『あんたからもらった資料をお守り代わりに持っている』とメールまでいただいた。結局、役所に戻ることはありませんでしたが、悔いはありません。ただ、ふるさと納税に携わってきた役人として、何があったのか、そこだけは明らかにしておく義務がある。今もそう思っています」

 当の官房長官は平嶋の人事について「法令に従い適材適所でおこなわれていると承知しています」と答えるのみだ。そこに立ち向かったいまどき珍しい官僚の意地を見た気がした。

(文中敬称略)