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社会参加への意識、黒人の人権に対する意識の芽生え

 自身が何度も経験した、つらい思いをさせたくなかったのだ。ガウフは涙をこらえてインタビューに答えた。そして、大坂への感謝とリスペクトをこんな言葉に込めた。

「彼女が本物のアスリートであることが分かりました。コートでは相手を憎い敵(かたき)のように扱い、試合が終われば最高の友だちとして接する、それが私のアスリートの定義です」

大坂なおみ 2018年撮影 ©文藝春秋

 スポーツ界のセレブの一員となってからの交友関係も大坂の視野を広げただろう。その中で、社会参加への意識、黒人の人権に対する意識も芽生えたようだ。この1月に事故で亡くなった元バスケットボール選手、コービー・ブライアントとも親交があった。2度目の全米優勝を決めたあとの記者会見で、大坂はこの恩人に感謝した。

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「彼に誇りに思ってもらえるようなことができればいい。彼のレガシーを受け継いで。一人の人間がこれほど多くの人に影響を与えるなんて素晴らしいことです。彼は私が立派な人になれると思ってくれていたし、私もそうありたいのです」

大坂はスポーツを志す若者たちの目標、ロールモデルに

 今年、コロナ禍でプロツアーは3月から約5カ月間も中断した。この間の隔離生活も人間性を深める機会になったようだ。大坂が振り返る。

「重要な数カ月間でした。全米で初優勝したあと、私のテニス人生は常に前に進むだけでした。隔離生活は、自分が何を成し遂げたいのか、自分の何を人々に記憶してほしいのか、いろいろ考える機会になりました」

全米の決勝ではアザレンカ(右)を破った ©getty

 選手としての成熟が結果につながり、同時に、実績が人をつくるのか。見逃せないのは、大坂には常に人としての成長、選手としての成熟を求める強い意志と、学ぶ姿勢があったことだ。18年の全米初優勝の頃からの変化について大坂は「考え方がだいぶ変わったような気がします。普段のツアーでも浮き沈みを繰り返し、多くのことを学んできました。精神的に強くなったと思います」という。もともとシャイな性格だが、ブライアントのような尊敬する先達のふところには、みずから飛び込んだ。

「私は成長しようと努めました。そのためにどのようなプロセスを踏むべきか、確信はなかったけれど。でも、人生で学んだレッスンは、間違いなく私を人として成長させてくれたと感じます」

 16年頃の彼女は、話し方もふるまいも、どこにでもいるアメリカのティーンエイジャーそのものだった。しかし今、大坂は、スポーツを志す若者たちの目標、ロールモデルとして、ここにいる。