山口氏は、政治家や大手マスコミ幹部との付き合いによって摘発を免れてきたと問題になっている。前出の出版社幹部も定期的に食事に招待され、政治家や大手新聞の論説委員を紹介された。向島の料亭で食事した時、山口氏はある2世の若手政治家を呼び、「将来、総理にしたいんです」と紹介したという。
「桜を見る会」招待状を宣伝材料に
15年に開かれた安倍首相(当時)主催の「桜を見る会」に、山口氏は招待状を贈られていた。首相枠として贈られたその招待状が宣伝材料として利用され、被害拡大の一因となったと指摘されている。
安倍前首相と山口氏の接点は30年以上遡る。
80年代、山口氏から献金を受け、利益を供与されているとして、中曽根康弘首相(当時)ら多くの政治家が国会で追及されていた。
その1人が安倍晋三氏の父、安倍晋太郎外相(当時)だった。
安倍外相は、84年にニューヨークの国連総会に出席した時に「山口会長が同行していた」と問い詰められると、「山口氏がおられたのは事実」と認めている(86年2月の衆院予算委員会)。
この時の外相一行の中に、秘書官を務め、30歳になったばかりの痩身の安倍晋三氏がいたのだ。
84年、ニューヨークの国連総会を終えた後に
この外遊について記憶している人物がいる。安倍外相がその国連総会出席を終え、夕方発の成田行きJALボーイングジャンボ機に搭乗した時、JALのチーフパーサーとして迎え、機中でアテンドした航空評論家の秀島一生氏である。
当時のボーイングジャンボ機は1階のファーストクラス20席程度に加え、アッパーデッキ(2階)にも10数席のファーストクラスがあった。安倍外相一行10名弱はアッパーデッキに上がった。
1階のファーストクラスに乗ったのが、“日本の黒幕”と言われ、85歳になっていた日本船舶振興会会長の笹川良一氏だった。
秀島氏が振り返る。