ダンスの本質は「失うこと」
――映画のもう一つの大きなテーマに「母と子」がありますね。これはイサドラ・ダンカンのダンスから生まれてきたテーマなんでしょうか。それとももともとこのテーマに興味があったのでしょうか。
ダミアン・マニヴェル それはやはりイサドラのソロダンス「母」から生まれたものです。彼女が二人の子を亡くしたこと、そこからこのダンスが生まれたという事実には非常に胸を打たれましたから。具体的にはイサドラが子どもたちを失った体験を描いていますが、映画を見ながら、観客の多くが、誰か大切な人を失った経験を思い浮かべるのではないでしょうか。僕は、ダンスは喪失と深く結びついていると思う。ダンスの本質は死と通じ合うことだとも言えます。伝統的なダンスには「死」を強く想起させるものが多くあるし、日本にも「死」と結びついた儀式的な踊りはたくさんありますよね。
――3つの物語が直接的ではなくゆるやかにつながりあう構造がとてもおもしろいと思いました。4人の女性たちは、撮影現場でもバラバラのままだったのでしょうか。
ダミアン・マニヴェル それぞれのパートは別々に撮影をしました。だから4人が顔を合わせたのは撮影がすべて終わった後です。彼女たちは、自分が演じたパートが他とどのようにつながるのか一切知らされていなかったので、これほど自分たちがつながりあっていたことに気づき驚いていましたね。
――でも脚本の段階である程度の構成はわかっていたのでは?
ダミアン・マニヴェル いいえ、できるだけ彼女たちには脚本を読ませないようにしていたので。映画を撮るときは、脚本をただ俳優に丸投げするのではなく、僕自身が現場で「ここはこういう形でやりたい」「ここにはこういう感情があると思う」と伝えていきたいと思っています。すると俳優たちは、「こうしなければいけない」というプレッシャーをあまり感じずに済む。撮影では毎日が発見のような日々になるわけです。
――彼女たちは、毎日自分が何をするのかを確認しながら演じていったわけですね。
ダミアン・マニヴェル 彼女たちだけでなく、僕自身も毎日発見していきました。彼女たちは、長い時間眠っていたダンス「母」を発掘し、それぞれに継承し、伝播していくことで、見ている人に強い感動をもたらしたわけですが、それと同じことを、監督としての僕も行ったと言えると思います。
――そうした独創的な撮影手法は、これまでの作品でもやってきたことですか。
ダミアン・マニヴェル 全部の作品で同じですね。僕の場合、もちろん役としての登場人物にも興味はありますが、それ以上に興味があるのは演じる人自身なんです。
――最初におっしゃっていた「これは彼女たちのポートレイトなんだ」とはまさにそういう意味なわけですね。
ダミアン・マニヴェル そのとおりです。僕の発想源の多くは、一緒に仕事をする俳優たちの人生が大きくかかわっています。