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《竹内結子さん追悼》浮気男と歌舞伎界を拒絶。「新しい仕事を入れて」最後まで貫いた“女優魂”

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歌舞伎界の跡取りではなく「私がひとりで立派に育てます」

 歌舞伎界にも未練はなかったという。

「歌舞伎界の跡取りとして獅童の母は長男の親権を欲しがっていましたが、幼い日に実母と別れて会うことができなかった竹内さんは、『私がひとりで立派に育てます』と、シングルマザーの道を選んだ。彼女は芯がしっかりしていて、一度決めたら行動に移す性格です。しばらく長男と2人暮らしでしたが、家族のことを話すときは『竹内家では』と話していた。自分は一家のあるじだと、大黒柱なんだと自負しているかのようでした。お子さんの食事はなるべく自分で作るようにしていて、旅先でもキッチン付きの宿を借りて、息子に料理を作ってあげていた。教育にも熱心で、親子2人で台場にある日本科学未来館に行ったりして寄り添っていました」

 それ以前の竹内さんを知る関係者は、口を揃えて「勝気な女性だった」と語る。たしかに竹内さんは、相手役を怒鳴りつけるなど気の強い女性の役どころを迫力の演技で見せるのが上手な女優だった。

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ドラマ撮影中の事故に「どうなってるの!?」

「2004年のドラマ『プライド』(フジテレビ系)は人気絶頂の木村拓哉が主演で、竹内さんはヒロインでした。ある日、アイスホッケーの撮影現場で休憩中に木村がスティックで打ったパックがエキストラの女性に当たる事故が起きてしまった。木村より年齢もキャリアも下だった竹内さんでしたが、『どうなってるの!?』と周囲のスタッフに不満をぶつけるほどイラ立っていた。年下の女優でそんなことを言えるのは竹内さんくらいでしょう。また、別の作品ではセリフに納得がいかないと、監督のもとへ直談判することもありました」(スポーツ紙記者)

2004年1月、ドラマ「プライド」の制作発表会見での竹内結子さん。東京・恵比寿のウエスティンホテル ©時事通信社

 だが、25歳で結婚、出産、そして27歳で離婚。それを経て迎えたアラサー以降は、仕事以上に子育てを優先する時期だった。

「多くのドラマや映画に出演してきた彼女ですが、実は、舞台は三谷幸喜さんの『君となら』(2014年)の1度しかない。舞台は稽古と本番を含めると2カ月も拘束されることになります。体力も必要で、夜が遅くなることも多いのです。だから、舞台の仕事は控えていたのです。

 また、シングルマザーの芸能人はSNSなどで子育ての様子をアップしてママタレのようなことをするのが最近の風潮ですが、彼女は一切しなかった。プライベートの切り売りをしなかったのは、離婚の時に『子供を一人前に育て上げる』という”断固たる決意”をしたからです」(前出・友人)

 離婚の際も「堂々としたものだった」(前出・スポーツ紙記者)という。