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アルコール依存症の私は、なぜ運転免許を“放棄”できたのか

2020/09/29
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正直、今だって「飲みたい」

 酒をやめて今年の9月で4年4ヶ月になった。以前より心も体も安定し、目の前の生活を楽しめるようになった。仕事にも充実して取り組めている。やめる前は、「酒のない人生なんて死んだも同然だ」と思っていたが、決してそんなことはない。酒なしでも人生は楽しめる。小学生の夏休みの朝を思い出してほしい。新鮮な空気を吸い、今日はなにが起こるのかと胸をときめかせる。そんな感覚が、徐々にだが戻ってきた。

酒なしの朝は「小学生の夏休み」に感じる爽やかさがあると気がついた ©iStock.com

 もう酒を飲みたいと衝動的に思うことも少なくなった。しかし、正直に言うと、私は今だって出来ることならば酒を飲みたい。あんなに手軽に、安価で脳内がハッピーになれるものなんて、アルコールの他にはないからだ。でも飲まない。なぜなのか。

私を止めてくれる“意思の弱さ”

 山口容疑者を巡る一連の報道やSNSでの反応のなかに、「アルコール依存症は、だらしない人がなる」といったような声が散見された。しかし、私の体験からするとそれは誤解である。アルコール依存症は歴とした病気であり、治療が必要である、といったことは専門家による指摘に任せるとして、一当事者の実感としても間違っている。

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 私が酒をやめられているのは、意思が強くなったからなどでは決してない。酒に手が伸びそうになったとき、いつも私を止めてくれるのは「弱さ」への自覚だ。自分はアルコールを手懐けられるような強い人間ではない。手を出したら、また瞬く間に敗北するに決まっている。そうした「弱さ」への自覚が、私を誘惑から遠ざけてくれる。アルコール依存症には「強さ」では抗えない。必要なのは「弱さ」を認めることだ。

 断酒して4年4ヶ月経った今でも、運転免許の再取得を躊躇している。人間は、弱くて脆くて壊れやすい。そういった臆病な「弱さ」を噛み締めながら、今日も「酒を飲まない日々」を積み重ねている。

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