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 5年間はライブハウスで修業を積むと決めたのは、バンドをつくっていくうえではライブが一番大切だと中村が考えていたからでもある。ときには客がいなかったり、あるいは酔客の前で延々と歌わねばならなかったりしたため、吉田はやめたいと言っていたという。それでも中村は、パワー、忍耐、表現力をつけるにはとにかくステージに立つしかないと、彼女には従ってもらった。

1989年にデビューシングルとなった『あなたに会いたくて』をリリース

当初はツインボーカルの予定だったドリカム

 他方で、中村が吉田に折れたところも多々ある。じつは彼は当初、吉田とツインボーカルで行くつもりで、ステージでもしばらく一緒に歌っていたが、最終的に彼女から下手だと言われて断念した。演奏する楽曲も彼女の作品の配分が大きくなっていった。中村もすでにたくさん曲をつくっていたが、詞をほぼすべて吉田に変えられてしまう。そこで彼はアレンジに回ることにした。結成まもないころは、バンドとしてのあり方、サウンドのつくり方、マネージメントの方向を毎晩のように話をしていたが、中村が自身のキャリアから物を言うと、吉田にことごとく拒否された。《今考えれば自分達の方法を見つけようとしたのが、吉田の想いというものだったのでしょう。ビジュアルにしてもレコーディングにしても新しい方法を見つけようと彼女は言っていました》と、のちに彼は当時を振り返っている(※1)。

 こうしてメンバー同士ぶつかり合いながらもライブハウスに出演し続けた末、1989年3月、アルバム『DREAMS COME TRUE』とシングル「あなたに会いたくて」を同時リリースしてデビューする。翌1990年2月リリースの5thシングル「笑顔の行方」はドラマ主題歌となり、この年上半期のシングルチャート3位に輝き、12月には同曲でNHKの紅白歌合戦に初出場した。さらに1991年には3rdアルバム『WONDER 3』がミリオンセラーを達成。デビューから2年4ヵ月でのミリオン達成は当時のオリコンチャート史上最短記録であった。それもデビュー前のライブ活動でしっかりと力をつけていたからでもあるのだろう。

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5thシングル「笑顔の行方」はTBS系ドラマ「卒業」の主題歌に

 1人の女性ボーカルと2人の男性メンバーによる3人組という編成は「ドリカム編成」とも呼ばれ、彼らの成功以降、同様のグループが続々と登場した。その影響は音楽の世界にとどまらず、男性に対して恋愛感情なしの疑似家族のような関係を求める女性たちの願望が、ドリカムのなかで満たされているとも分析された(※2)。