かつて「総会屋」と呼ばれた男たちがいた。今で言うところの反社会的勢力である。昭和から平成にかけて、裏社会の住人たちが日本を代表する上場企業の株主総会を舞台に、狼藉(ろうぜき)の限りを尽くしていたのだ。企業を巡る事件などを長年取材してきた尾島正洋氏の著書、『総会屋とバブル』(文春新書)より一部を抜粋する。(全2回のうち1回目。後編を読む)
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総会屋たちにバラ撒くカネも経営コスト
総会屋は上場企業の株を購入して(彼らはこれを「株付けする」と言う)株主総会に乗り込み、長時間にわたり質問を繰り返しては議事進行を妨害し、経営陣に揺さぶりをかけた。質問の内容は重箱の隅を突くような些細なものから、業績や経営方針について鋭く切り込むものまで玉石混交、千差万別だ。
時には何百項目、何十枚にも及ぶ膨大な質問状を総務部に送りつけて、「総会で質問するから回答を準備しておけ」と事前通告してくる者もいた。ところが、総会の直前になると質問状を突如取り下げることもあった。その見返りは当然、カネだった。彼らは手練手管の限りを尽くして企業を揺さぶり、裏側でカネを要求していたのである。
かつて株主総会は、どこの企業でも大過なく30分程度で終了するのがお決まりで、いわゆる「シャンシャン総会」が当たり前と言われていた。総会会場のひな壇中央に座る議長役の社長が、総会屋たちの質問攻勢に見舞われ、答えに窮してうろたえることを何より嫌っていたからだ。総会が紛糾して長びけば、トラブルを多く抱える「問題企業」というイメージで世間から見られかねない。
企業とすれば、総会が円滑に進んで平穏無事に終わるのであれば、総会屋たちにカネをバラ撒くことも、必要不可欠な経営コストと考えていたのだ。
とはいえ、企業側も総会屋を名乗ればどんな相手にも無条件でカネを差し出していたわけではない。総会屋と言っても、小遣い銭をせびるタカリのような輩から、社内人事や経営方針などに介入するほど絶大な影響力を持つ超大物までいた。企業側も総会屋の格やキャリアによって渡す金額に差をつけていた。
私が総会屋に初めて会ったのは、バブル経済が崩壊していた1996(平成8)年の秋だった。当時、産経新聞の社会部記者だった私は警視庁記者クラブに所属して、経済事件のほか、暴力団や総会屋による事件の取材を担当していた。「暴力団」と言えばどんな人間なのか、ある程度のイメージが描けるが、「総会屋」とはどのような人物なのか、どのような活動をしているのか、いまひとつ見当がつかない。そのころ、キリンビールや高島屋が総会屋に何千万円もの利益供与をしていた事件が摘発されていただけに、総会屋なる人間に実際会ってみたいと思っていたところ、ある関係者が「紹介しましょう」と引き受けてくれた。