昭和から平成にかけて上場企業の株主総会を舞台に狼藉の限りを尽くした総会屋。1982年に施行された改正商法により、総会屋への利益供与が違法となってからも、企業は総会屋と絶縁することはできなかった。事なかれ主義の企業トップが総会屋との付き合いを見て見ぬふりしている間に、総会屋と関連暴力団の凶行はエスカレートしていく。ノンフィクションライターの尾島正洋氏の著書、『総会屋とバブル』(文春新書)より一部を抜粋する。(全2回のうち2回目。前編を読む)
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阪和銀行副頭取射殺事件
キリンビールへの強制捜査で大量の総会屋が摘発され、闇社会への資金供給の大きなパイプが絶たれたころの1993年8月5日朝、全国の企業幹部たちを震え上がらせる凶悪事件が発生した。
和歌山の阪和銀行(後に清算)の副頭取、小山友三郎が自宅を出て迎えの車に乗り込んだところ、近づいてきた男が至近距離から3発の銃弾を小山に撃ち込んだのだ。小山は病院に搬送されたが、まもなく死亡した。
和歌山県警は拳銃を使った短時間での犯行だったため、暴力団関係者によるものとみて捜査を進めた。阪和銀行はバブル期に系列のノンバンク2社を通じて、不動産や株式投資に積極的に乗り出していた。しかし、バブル経済の崩壊で300億円を超える損失を出していた。
バブル景気で暴力団も表経済に進出し、不動産の地上げで巨額の資金を手にしていたほか、ゴルフ場やリゾート開発などにも積極的に参画していた。イトーヨーカ堂やキリンビールの利益供与事件では、暴力団幹部も逮捕され、総会屋と暴力団のボーダレス化も進んでいた。
しかし、バブル経済の崩壊に伴い、地上げや開発事業から企業が撤退し始めると、暴力団はハシゴを外された格好となり、資金ショートに陥るようになっていた。
さらに、射殺事件のあった前年の3月、暴力団対策法が施行された。全国の繁華街の飲食店から、みかじめ料(用心棒代)の徴収が規制されるなど、暴力団業界の用語でいうところのシノギ(資金源)に法の網がかかるようになっていた。
バブル崩壊後のころのことだ。ある上場企業の総務部長の卓上電話が鳴り、受話器を取ると、「お前、殺す!」と怒鳴りつけるや、「ガチャン!」と受話器を叩きつけて切られることがあったという。別の日には違う人物から「お前の目玉をつぶす。分かったか」と静かだが、怒気を含んだ声で冷たく言い放つ電話もあった。
こうした脅しのような電話が各企業の総務部で一時期は鳴りやまなかった。当時の状況を振り返り、脅迫のような電話を何度も受けた元総務部長は、こう明かす。
「本当にノイローゼ寸前だった。当時は電話だけではなかった。会社には総会屋だけでなく、いかにも暴力団といった人がよく来るし。対応に困った」
だが、悲劇はまだ続いた。