元号取材班の力で自宅を探し当てる
年が明け、18年1月に召集された通常国会では、首相・安倍晋三の妻昭恵や親友の学校法人理事長の関与が問われた森友学園問題や加計学園問題が、再噴出した。同年9月の自民党総裁選で安倍が3選を果たすまで、私は政治部記者の「本務」に戻ることになった。
代替わりまで半年に迫った2018年秋、毎日新聞社は全本社横断の元号取材班を結成した。それまではほぼ一人だったが、社会部や東京以外の他本社からも精鋭記者が集まった。物理的にも精神的にも、頼もしかった。
以下に記す取材班の成果は『令和 改元の舞台裏』(毎日新聞「代替わり」取材班、毎日新聞出版、2019年)によるが、取材班は手を尽くして尼子の自宅を探し当て、都内のあるマンションを訪ねた。私一人の取材ではここまで及ばなかったが、ようやくたどり着いた。マンションの場所は、東京都北区のJR赤羽駅から徒歩で約十分。前年に私が訪ねた、かつて尼子が住んでいた公務員宿舎からは、数キロしか離れていなかった。
改元1年前の訃報
2018年10月15日、取材班の一人が東京都北区のマンションを訪ねた。しかし住んでいたのは尼子ではなく、こちらも別人だった。マンションの管理人によると、およそ5カ月前の5月19日、一人暮らしの尼子が出勤しないため後輩の内閣官房職員が訪ねたところ、部屋で亡くなっているのを見つけた。私が近くの公務員宿舎を訪ねた、およそ半年後のことだった。
毎日新聞東京本社4階の小さな会議室に構えた取材班の部屋で、私は取材から戻った同僚から訃報を聞いた。しばし言葉を失い、椅子に座ったまま天を仰いだ。平成の30年間、元号一筋に取り組み、改元まであと1年だった。記者として長年探していた重要人物に話を聞けなかっただけではない。それ以上に、役人人生で唯一取り組んだ元号選定の成果を見届けずに逝ってしまった尼子を思うと、やるせない気持ちになった。
12年から約7年半、私は新元号を追ってきたが、30年間も元号選定準備に携わった尼子に比べればごく短い。それでも、現職、元職の官僚たちから「何十年に一度の改元に備え、成果物なく仕事を続けるのは気が滅入る」「強い自意識がないとやり通せない」と話を聞くたび、自身に重ねながら尼子の孤独な作業を思った。
私も通常業務の政治取材の傍ら、新元号を追い続け、斯文会の講座に通っていることは、ごく一部の上司や同僚しか知らなかった。もちろん、日常的に親しく付き合いのある取材先や他社の記者には、一切話していない。情報漏れを警戒するとともに、これまで話を聞かせてもらった人たちに、迷惑を掛けるかもしれないからだ。極秘任務に尽くした尼子の役人人生に、身につまされたことを思い返した。