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「とうとう見つけてしまったのか……」元号制定の舞台裏で暗躍した“特命官僚”という存在

『元号戦記 近代日本、改元の深層』より #1

2020/10/10
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 昭和も平成も令和も、天皇ではない、たった「一人」と一つの「家」が元号選定の鍵を握っていた。「令和」改元の舞台裏で密に元号の考案依頼をしていた“黒衣”の名は尼子昭彦。彼はいったいどのような人物で、どのように元号選定に関わっていたのか。毎日新聞で記者を務める野口武則氏の著書『元号戦記 近代日本、改元の深層』(角川新書)より、その知られざる実態に迫る。

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退位、歯車は回り始めた

 漢籍や日本古典の学者を回り、密に元号の考案依頼をしていた尼子昭彦について、手がかりがないかと資料を渉猟した。中央省庁の『職員録』をめくると、平成25(2013)年版(2012年12月発行)まで国立公文書館の職員として尼子の名前が掲載されていた。一方で、内閣官房の欄には名前が見当たらない。また、国立公文書館の館報「北の丸」では、1999~2006年まで「『寄贈書目録』(漢籍)」など、公文書館が所蔵する漢籍の目録について記事を書いている。

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 私は学者と面会する際、この公文書館の記事を見せて尼子を知っているか尋ねて回った。しかし、尼子には接触できていなかった。12年の時点でわかっていたのは、平成改元時の考案者の一人、宇野精一の弟子ということだけ。精一の著書『孔子家語 新釈漢文大系五十三巻』(明治書院)に、尼子と、精一の長男で当時は中央大教授だった宇野茂彦が編集を手伝ったことが記されていた。

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 公表されている文献を見る限りでは、尼子と元号を関連させるものは一切なかった。手がかりは少なく、謎は残ったままだったが、宇野茂彦が斯文会で月一回開いている市民講座「論語素読」に、私は16年4月から通い始めた。本来業務の政治取材とは別に、知り合った漢籍や日本古典の研究者とは個人的に年賀状などのやりとりを続けていた。2年余の大阪本社社会部での勤務を終え、15年5月に再び東京本社政治部に戻って来たのを機に、いずれ来る代替わりの準備を再び始めたのだ。漢文素読は高校の国語の授業以来で、解説もなくひたすら素読を進める形式に最初は戸惑った。

元号戦記 近代日本、改元の深層

 少し慣れてきた16年7月13日夜、NHKの速報で日本中に衝撃が走った。午後7時のNHKニュース直前に流れた「天皇陛下、生前退位の意向」との速報は、代替わりに向けた水面下の準備作業を公式日程に浮上させ、歯車が急速に回り始めた。

水面下で動き出した「元号研究官」

 天皇の終身在位と、天皇一代に元号一つの「一世一元制」は明治時代に確立した。憲法や皇室典範に退位の規定はなく、法整備が必要だった。退位となれば、新天皇の即位に伴い、「平成」が終わり新元号に改まる。退位を実現する皇室典範特例法は、政府の有識者会議や与野党折衝を経て17年6月に成立した。17年10月の衆院選で自民党が大勝、安倍政権の続投が決まると、私は尼子を探す作業を再び本格化させた。「元号研究官」も本格的な準備に着手しているはずだ。