文春オンライン

「とうとう見つけてしまったのか……」元号制定の舞台裏で暗躍した“特命官僚”という存在

『元号戦記 近代日本、改元の深層』より #1

2020/10/10
note

「公文書研究官のポストはあるが、人はいない」

 皇居・北桔橋門の向かい、旧江戸城北の丸の一角にある国立公文書館は、3階の館長室や会議室がある最上階の4階からも、皇居の森に視界が遮られる。首相官邸や内閣官房がある永田町からは、皇居をおおよそ半周した反対側に位置する。永田町方面への地下鉄のアクセスも、公文書館から坂を下った最寄りの竹橋駅から東西線に乗り、一駅隣の大手町駅で丸ノ内線か、反対回りで九段下駅から半蔵門線に乗り換えなければならない。距離が近いようで、遠い。

©iStock.com

 1971年に総理府(現内閣府)の機関として開設され、2001年の行政改革で現在は独立行政法人となっているが、幹部職員は内閣府からの出向者が占める。役所から移管された重要な行政文書を管理・保管し、一定の期間を経たものを公開する役割を担う。ほかにも、漢籍・和書・古文書約50万冊のほか、明治以降の公文書なども含めると計約140万冊を所蔵し、国内有数の史料館としての役割もある。徳川将軍の図書館「紅葉山文庫」が源流で、明治時代の「内閣文庫」を経て、今日まで貴重な古典籍が引き継がれている。

 かつて、尼子昭彦が館報「北の丸」に掲載した目録の記事では、肩書は「主任公文書研究官」となっていた。公文書館法四条二は「歴史資料として重要な公文書等についての調査研究を行う専門職員その他必要な職員を置くものとする」と定める。1987年にこの法律が成立したのを受けて、「公文書研究職」が新設された。公文書館OBを訪ね歩くと、尼子は平成改元より約1年前の87年12月1日、出来たばかりの公文書研究職として採用されたことがわかった。「研究職」は係長級で、尼子は後に管理職の「研究官」となった。

ADVERTISEMENT

公文書館職員に漢籍の専門家はいなかった

 退位特例法成立から5カ月後の2017年11月、私は国立公文書館を訪れた。会議室に案内され、対応してくれた職員に尼子のことを尋ねた。

「漢籍を専門にやられている職員はいませんか? 昔は尼子さんが『北の丸』で漢籍について書いていましたが」

「我々の世代だと面識がないのでわかりません。もう辞めています。公文書研究官のポストはありますが、人はいません」

 現在は公文書館の職員に、漢籍の専門家は一人もいない、とのことだった。