「令和」改元の舞台裏で“黒衣”として暗躍した尼子昭彦は、公文書研究官として30年もの間、元号選定準備に携わり続けた。彼はいったいどのような人物で、どのように元号制定に関わっていたのか。毎日新聞で記者を務める野口武則氏の著書『元号戦記 近代日本、改元の深層』(角川新書)より、彼の生涯について引用し、紹介する。

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尼子は選定過程を最もよく知る人物だった

 内閣官房や国立公文書館のOBの話を積み重ねることで、公文書研究官・尼子昭彦が担っていた極秘任務の輪郭が徐々に見えてきた。学者に元号考案を依頼する、内閣官房とのパイプ役。漢籍の知識を生かし、回収した案に過去の元号との重複や俗用がないかチェックする役目も担った。どの学者が、どの出典からどのような元号案を提出したか。全てを把握していた。

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 元号担当の事務責任者は、内閣官房副長官補(内政担当)だ。次官級の官邸幹部で、旧大蔵省出身のキャリア官僚が代々務める。内政の政策全般を統括するため、多忙なポストだ。副長官補は数年で交代するのが通例のため、平成期に一貫して元号に携わり続けた尼子が、事前の選定過程を最もよく知る重要人物だった。

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 尼子を探して話を聞く必要を感じていたものの、政治部記者としての本務は、首相官邸や国会での政策決定や政局、選挙の取材にある。2015年5月に大阪本社社会部から東京本社政治部に戻って来た後も、私は平河(自民党)、官邸、野党の各担当を転々としていた。16年8月に天皇・明仁(現在の上皇)が退位の意向がにじむビデオメッセージを公表すると、退位特例法案の作成に向けた政府の動きや、国会審議の取材に追われた。ようやく尼子を探す作業に着手できたのは、17年6月に退位特例法が成立し、同年10月の衆院選で与党が勝利した後だった。

住居の情報を手にしたが……

 学会のつてを頼り、尼子が東京・北区の国家公務員宿舎に住んでいるとの情報を得たのは、同年11月下旬。採用時に住んでいた都心ではなく、郊外にある大規模な公務員宿舎だった。

 部屋を探して、緊張しながら呼び鈴を押す。

「尼子さんのお宅でしょうか?」

「違います」

「最近引っ越してきましたか」

「はい」

 尋ねてみると、女性の返事があり、別の人が住んでいた。隣の住人にも話を聞いたが、尼子のことは知らないとのことだった。

 尼子は60歳の定年直前に公文書館を退官していた。内閣官房で再任用され、元号の仕事を続けていたが、定年を機に公務員宿舎を出た可能性が高かった。最重要人物を探す作業は振り出しに戻ってしまった。