「尼子さんは30年間、元号の仕事だけやっていたと聞きました。あと1年で新元号発表でようやく成果が見られるというのに、無念だったと思う」
「残念だな。残念だな」
石川は二度繰り返した。
黒衣に徹した生涯
元官邸幹部は、尼子のことを「学者肌の人だった」と振り返る。そして「論文を書かないと学者としての能力が落ちるが、書くと目立ってしまう」とも語り、黒衣に徹した尼子に同情を寄せた。
時々「今日は向こうに行ってきます」と言い残して公文書館を出て行く尼子は、同僚から「何をしているかわからない人」とささやかれていた。実際は、皇居を挟んで向かい側の内閣官房へ出かけ、元号選定の作業を密にやっていたのだが、事情を知る職員は少なかった。
尼子は、公文書館の館報「北の丸」に、同館が所蔵する漢籍目録の記事を1999~2006年に書いた。師である宇野精一が全訳注を著した『孔子家語』に関する目録も、99~02年の4回にわたって紹介している。他の職員から存在をいぶかられる尼子に対し、当時の公文書館長が「館報に何か書くように」と指示した。そこで尼子が書いたのが、師との思い出が詰まった『孔子家語』に関する目録だった。事情を知る公文書館の元同僚は、目録の記事をこう表現した。
「それが尼子さんの存在証明です」
時代が変わろうと元号一筋に生きた男
明治安田生命保険が2019年11月29日に発表した、その年(令和元年)生まれの赤ちゃん名前調査によると、「令」「和」の漢字を使った名前は、男女ともにトップ10圏外だった。過去の改元時にみられたように、新元号の漢字を名前に採り入れる傾向は乏しかった。
天皇や国家と関係の深い元号が時代を象徴し、個人の人生と元号が結びつく社会の雰囲気は薄れつつあるのかもしれない。改元の1年前に亡くなった元号研究官の尼子「昭」彦。弟の名前のうち一文字は「和」で、兄弟で合わせると「昭和」になる。まさに、元号一筋の生涯だった。