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「とうとう見つけてしまったのか……」元号制定の舞台裏で暗躍した“特命官僚”という存在

『元号戦記 近代日本、改元の深層』より #1

2020/10/10
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尼子は内閣事務官が「本務」だった

 少ない手がかりを基に、私は公文書館OBや宇野家に近い学者を訪ねて歩いた。尼子を知る複数の関係者は、こんな人となりを教えてくれた。

「まじめで口数少ない」

「同僚と飲みに行くこともなかった」

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「漢籍だけが生きがいのようだった」

 尼子という名字の由来について、山陰地方を拠点にした戦国大名の尼子氏の末裔であると、本人が話していたと、複数のOBが証言した。60歳の定年直前の2013年ごろ、公文書館を退官していたこともわかった。

 ただし、中央省庁の『職員録』を過去に遡って調べると、不可解な点が見つかった。国立公文書館に採用され、一貫して公文書研究職、研究官として勤めたはずだが、昭和64(1989)年版(88年7月1日現在の配置)では内閣官房の欄に「内閣事務官」として「(兼)尼子昭彦」と記載がある。平成2(90)年版でも、内閣官房に「主査」として「(兼)」と兼任の形で名前があるが、平成3(91)年版になると内閣官房から名前が消え、公文書館の「公文書研究職」として名前が記されている。以後、内閣官房でなく公文書館の欄にのみ名前が掲載され続けた。

 これは何を意味するのか。行政職だったある公文書館OBに2017年11月、話を聞くことが出来た。

©iStock.com

外に出せない話

「尼子さんについて知っていれば伺いたいのですが」

「何を聞きたいかはわかります。こういう時期になると探すのでしょう」

「元号をやっていたと聞いたのですが」

「私もそういう話は聞きました。多分正しいでしょう」

「なぜ内閣官房でなく、公文書館の職員がやっているのですか」

「役所の中に、外に出せない話があるのでしょう。私たち公文書館職員は、何をやっているのか知りません。それでOKということになっていた。内閣事務官が本務で、公文書館は兼務ですよ」

 元号を担うのは内閣官房である。平成改元時は内政審議室、現在は内政担当の官房副長官補室だ。別の公文書館OBは「内閣官房にいると目立つので、秘密にするために公文書館に机を置いて仕事をしていた」と証言した。内閣官房の業務を、公文書館の職員だった尼子が兼務するのはこのためだ。

 一方、ある元官邸幹部は、内閣側の事情を説明してくれた。

「内閣官房で仕事をしていたら、『あの人何をやっているの?』と不審に思われて漏れてしまう。普段は公文書館にいれば、記者にも存在を知られない」