尼子は内閣事務官が「本務」だった
少ない手がかりを基に、私は公文書館OBや宇野家に近い学者を訪ねて歩いた。尼子を知る複数の関係者は、こんな人となりを教えてくれた。
「まじめで口数少ない」
「同僚と飲みに行くこともなかった」
「漢籍だけが生きがいのようだった」
尼子という名字の由来について、山陰地方を拠点にした戦国大名の尼子氏の末裔であると、本人が話していたと、複数のOBが証言した。60歳の定年直前の2013年ごろ、公文書館を退官していたこともわかった。
ただし、中央省庁の『職員録』を過去に遡って調べると、不可解な点が見つかった。国立公文書館に採用され、一貫して公文書研究職、研究官として勤めたはずだが、昭和64(1989)年版(88年7月1日現在の配置)では内閣官房の欄に「内閣事務官」として「(兼)尼子昭彦」と記載がある。平成2(90)年版でも、内閣官房に「主査」として「(兼)」と兼任の形で名前があるが、平成3(91)年版になると内閣官房から名前が消え、公文書館の「公文書研究職」として名前が記されている。以後、内閣官房でなく公文書館の欄にのみ名前が掲載され続けた。
これは何を意味するのか。行政職だったある公文書館OBに2017年11月、話を聞くことが出来た。
外に出せない話
「尼子さんについて知っていれば伺いたいのですが」
「何を聞きたいかはわかります。こういう時期になると探すのでしょう」
「元号をやっていたと聞いたのですが」
「私もそういう話は聞きました。多分正しいでしょう」
「なぜ内閣官房でなく、公文書館の職員がやっているのですか」
「役所の中に、外に出せない話があるのでしょう。私たち公文書館職員は、何をやっているのか知りません。それでOKということになっていた。内閣事務官が本務で、公文書館は兼務ですよ」
元号を担うのは内閣官房である。平成改元時は内政審議室、現在は内政担当の官房副長官補室だ。別の公文書館OBは「内閣官房にいると目立つので、秘密にするために公文書館に机を置いて仕事をしていた」と証言した。内閣官房の業務を、公文書館の職員だった尼子が兼務するのはこのためだ。
一方、ある元官邸幹部は、内閣側の事情を説明してくれた。
「内閣官房で仕事をしていたら、『あの人何をやっているの?』と不審に思われて漏れてしまう。普段は公文書館にいれば、記者にも存在を知られない」