30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が起こった――。鈴木氏が福島第一原発(1F)に潜入したレポート、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の1回目/後編に続く)

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ヤクザと一緒に被災地支援

 2011年3月12日、東京電力福島第一原子力発電所(1F)の1号機が水素爆発を起こした瞬間……私は水と食料と往復分の軽油を詰め込んだトラックの助手席に座っていた。4トン車4台編成で、私以外のメンツは運転手を含めすべて現役暴力団だ。郡山を過ぎ福島市に入る直前で、AMラジオから爆発を伝えるニュースが流れてきた。

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「おい、やばいんじゃねぇの?」

「ええ、やばいんでしょうね」

 門外漢が額をつきあわせたところで、風邪用のマスクをする程度の知恵しか浮かばない。先頭の幌車が止まり、後続もそれにならう。私が乗ったトラックは最後尾に停車した。

 30代から40代の若手組長が中心で、20代の組員も4人いた。おのおのがタバコに火を付け、作戦会議が始まる。矢継ぎ早に吸っては消し、次々と吸い殻が地面にポイ捨てされていった。焦燥感に駆られた暴力団を刺激しないようゆっくり拾い、携帯タイプの灰皿にいれるが、すぐにパンパンになった。

「とにかく急ごう。デコスケ(警察官)がごちゃごちゃ言ってきたら面倒になる」

「ニュース観ただろ。街が丸ごと津波にのみ込まれたんだ。ヤクザも堅気も関係ねぇ。それに俺たち、なにもパクられるようなことしてねぇし」

写真はイメージです ©iStock.com

 東日本大震災で、物資の支援を行ったのは、同行取材した関東の暴力団だけではない。住吉会や稲川会など、東北に多くの傘下団体を持つ組織はもちろん、山口組をはじめ、ほぼすべての団体がなんらかの救援活動を行っていた。義援金の領収書は匿名でもらう。世間に喧伝すれば売名行為だと叩かれるが、なにか証(あかし)が欲しいのだろう。

「『伊達直人』で頼むよって言ったんだけど、それは出来ないっていうからさ。仕方なく匿名にした」(福島県南相馬市に物資を運んだ広域組織幹部)

 普段、縁のない感謝状を誇らしげにみせてくれた暴力団幹部は、私が知っているだけで20人以上いる。沖縄のある総長は日持ちのする地元の名産品を大量に送った。カップ麵等ならともかく、こうした食料が被災者に届いたかどうかは分からない。

 一団のリーダーだった首都圏近郊の広域組織2次団体若頭は自らハンドルを握り、ひたすら走り続けることを選択した。