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3号機の原子炉建屋が黒煙を上げ爆発

 被災地に入り、惨劇を目のあたりにすると原発事故のことはすっかり頭から消えた。目的地の宮城県では、支援物資の窓口となったNPO法人は、山口組支援部隊の受付もしており、暴力団耐性があって、冷静な指示を出された。それに従い、組員総出で物資を下ろす。冷え切った東北の夜でも汗が止めどなく流れ、上着で刺青を隠していた組員たちも最後にはTシャツ姿になった。

〈住民たちが引くかもしれない……〉

 一瞬そう考えたが、住民をはじめ誰も気にしている様子はない。最初は遠巻きにこちらを見ていた警察官も顔を伏せ、パトカーはすぐに去った。肉体労働の他、住民からリクエストを訊き、メモするのは私の役目だった。当時はなにもかもが足りなかった。

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 13日の深夜、東京にとんぼ返りした暴力団たちは、「交代で仮眠を取りながら今度は岩手県に向かう」と威勢がよかった。いまや反社会勢力と呼ばれ、存在を全否定されている暴力団は、一般人から慣れない感謝の言葉を大量に浴びせられ高揚していた。

「あんた……どうする?」

 同行したいのは山々だが、翌日、2月に発売された『潜入ルポ ヤクザの修羅場』の著者インタビューがあるので断った。14日、取材の直前、自宅でテレビを観ていると、3号機の原子炉建屋が黒煙を上げ爆発した。喫茶店で暴力団の四方山(よもやま)話をしていても、衝撃的な映像が頭から消えない。取材が終わった後、先日のトラック部隊に電話した。

写真はイメージです ©iStock.com

「また爆発だろ? 知ってる。気をつけろって? ああ、マスクは持ってっけど、そんなもんでいいのかよ? もういい。切るぞ。放射能が怖くてヤクザがやってられっかっての!」

 若頭はハイテンションでまくし立て、一方的に電話を切った。もちろん暴力団のすべてが勇ましかったわけではない。同じ組織の若手組長は家族を引き連れ、九州に避難していた。支援活動を行った場合でも、多くは堅気の知人を派遣し、自ら被災地に乗り込んだ暴力団はごくわずかだ。自宅に戻るとタイミングよく知り合いの社会部記者から電話があった。

「ヤクザのボランティア活動って本当なの?」

「写真撮ってきたけど、使えないと思うよ。お宅の会社でそんな報道できっこねぇじゃん」

「そうだけど……あとで写真送ってくんない?」

「まずいって。許可もらわないと渡せない」

「絶対勝手に使わないから。約束するから」

 新聞やテレビ局には、時折暴力団オタクのような記者がいる。彼はその筆頭だ。信用はしているが、暴力団は内部で足の引っ張り合いをしているケースが多い。迂闊(うかつ)に写真を渡し、それが報道されれば、当事者が処分される可能性もある。