一生消えない文革時代の記憶
――楊先生が身の危険もかえりみず、中国共産党の政策を厳しく批判し続けてきたのは、文革の記憶があるからなんですね。
実は私も、何者かに脅された経験はあります。「いつでも消せるんだぞ」「交通事故には気をつけろよ」……。でも、本気で殺すつもりなら、私はすでにこの世にいないはず。逃げても仕方がないですよ。
――武を貴ぶモンゴル人らしいですね。
子どもの頃の体験が大きいんですよ。
そこは、今回の「モンゴル語教育禁止」にも通じると思います。私は文革時代、大人たちが苦しむ姿を見てきました。その記憶は一生消えません。
きっといまの子どもたちも同じでしょう。私がそうだったように、むりやり中国語を教えられているモンゴル人の子どもたちは、ことの成り行きを冷静に見ていると思います。
そして、いつか親や大人たちに聞くんですよ。あの体験はなんだったのか、と。そこからモンゴルの文化や歴史を知り、モンゴル人の誇りを持っていくんです。
――残念ながら「モンゴル語教育禁止」の問題点について、まだまだ日本では知られていないように見えます。
そんなことはありませんよ。
私は9月からTwitterをはじめて内モンゴルの情報を発信しています。たくさんの日本人が関心を持って、フォローしてくれています。日本人の記憶にも内モンゴルは残っている。日本人も、歴史を忘れたわけではありません。戦前から戦中にかけて満蒙開拓を経験した人も、その子や孫もいる。
満蒙の「蒙」は、いまの内モンゴル自治区で、満州国の約3分の2が、内モンゴルだったのです。かつて内モンゴルと日本は特殊な関係にありました。それはいまも変わりません。とくに内モンゴル東部の人たちは、いまも日本に憧れを抱いている。
私は日本に、内モンゴルに対して経済的、文化的、政治的にもっと関与してほしいと思っているんですよ。内モンゴルは、かつて、日本人が、深くかかわった土地なのですから。