――騒動直後の17年1月から2月にかけて、京佳さん、荻野さん、志田さんの3人(小林は喉の治療で活動休止)で行なったツアーは気迫がすごく伝わってきました。
京佳 悔しくてめっちゃ感情が入ったんです。自己分析すると、私って感情が表に出やすいタイプなんです。それをいい方向に使おうと全力で煽りました。この時以外も、私が乗ってるとライブ全体も盛り上がっていたと思います。
――「逆にここで売れるんじゃないか」と思いました。
京佳 そう思ってくれた方もいたかもしれないですね。だから、新メンバーのオーディションをすると聞いた時は疑問を感じました。伊藤プロデューサーに「なんで3人も入れるの?」と聞いたら、「絶対に誰かやめると思うから」と言われて、「そういうマインドなんだ……」と、またモチベーションが落ちてしまって。
アイドル生活に飽きがきていた
――実際、17年12月に新メンバーが入ってどうでした?
京佳 最初は「毛色の違う子たちが入ってきたな」と思ったけど、仲のいい友達から「新しい環境ってワクワクしない?」と言われたことで、「決まったことだからやるしかない」と意識が変わったんです。実際、3人ともいい子だし、頑張っていたので、仲良くなって。とくに山口はのんをめちゃくちゃプッシュしてました。ただ、自分自身については「1年頑張って結果が出なかったらグループを卒業しよう」と思っていたんです。もともと「アイドルは10代でやめよう」と決めていたから。
――19年4月に卒業しましたが、その理由は「モチベーションが落ちたこと」なのでしょうか?
京佳 はい。正直、アイドルとしての生活に飽きがきていたんです。7年やっていると、制作期間があって、リリースイベントがあって、ライブがあって……というサイクルの繰り返しだと分かって。それと、メンバーとの気持ちのすれ違いもありました。
――最後のほうはメンバーとあまりコミュニケーションを取れず……。
京佳 そうですね。でも、18年の10月かな。可鈴ちゃんがウチに泊まりに来たことがあって。「京佳がもし夢アドをやめると言ったらどうする?」と聞いたら、「全力で止めるよ」と言ってくれたことがあるんです。実際はそうならなかったけど、あの時はうれしかったな。いつかメンバーと話せる日がくるといいなと思ってます。