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「固定給はしばらく一桁でした」20歳の彼女がぶっちゃけた“私がアイドルだった頃”

元夢みるアドレセンス・京佳さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2020/10/10

 2010年ごろからアイドル戦国時代と称されるようになり、ももいろクローバーZやでんぱ組.incなどのグループがブレイクした。2012年、ティーンファッション誌『ピチレモン』(学研)のモデルを中心に結成された夢みるアドレセンスは、そのビジュアルの高さと博報堂DYグループによるプロデュースで、結成当初から注目されていた。

 夢みるアドレセンスのメンバーは荻野可鈴、志田友美、小林れい、山田朱莉、岡美咲(13年6月卒業)、京佳。その中で唯一『ピチレモン』モデルではない最年少メンバーが京佳だった。コンプレックスを抱えながら活動してきた彼女にとって、「グラビア」が光明となる。

 京佳は人気グラビアアイドルとなるが、グループはZeppや中野サンプラザ以上の会場には進出できず、いわゆる“3000人の壁”を超えることはできなかった。

「きょんちゃんかわいいじゃん!」で事務所へ

――京佳さんが芸能界に入ったきっかけは、『ピチレモン』でモデルをやっていた前田希美さんなんですよね。

京佳 はい。当時、前田さんと家族ぐるみで仲が良かったんです。6歳上のお姉さんの前田さんはかわいくて超オシャレでキラキラしていて憧れの存在でした。そんな前田さんが「きょんちゃんかわいいじゃん!」と事務所を紹介してくれて。「私も『ピチレモン』モデルになれるかも」というノリで、小学3年生の時に事務所に入りました。

 

――なのに、『ピチレモン』モデルになることはなく。

京佳 事務所に入ったけど、まったくモデルになれる気配はありませんでした。オーディションも受けたんですけど、当時、『ピチレモン』のモデルに低身長の子が多くて、高身長の子を求めていたから私は当てはまらなかったみたいで。そもそも『ピチレモン』のオーディションに受かった子が事務所に入るという形が多くて、私みたいに事務所に入ってから『ピチレモン』のモデルになることは難しかったんです。

――夢みるアドレセンスに入るまではどんな仕事をしていたんですか?

京佳 カタログのモデルが多かったですね。『しまじろうヘソカ』というアニメの後にお箸の持ち方といった教育的なことを教えるコーナーに可鈴ちゃんと友美ちゃんの3人で出たこともありました。夢みるアドレセンスが結成される前に3人でテレビに出ていたんです。

 

――じゃあ、事務所からの扱いが悪いわけでもなかったんですね。

京佳 いま思うとそうかもしれません。ただ、事務所の人からは生意気だと思われていたはず。それが私の素だからしょうがないんだけど(笑)。中1の時に「モデルになれないなら事務所をやめて海外留学しよう」と考えていたけど、そのタイミングで博報堂から声がかかったんです。