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「固定給はしばらく一桁でした」20歳の彼女がぶっちゃけた“私がアイドルだった頃”

元夢みるアドレセンス・京佳さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2020/10/10
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――ダンスレッスンやライブのリハーサルでは厳しく言われることのほうが多いですからね。

京佳 そうなんですよ。ダンスの癖を何回も指摘されて、そのたびに落ち込んでました。褒められて伸びるタイプなのに(笑)。だからといって、グラビアを緩くやっていたわけじゃないんです。角度とか体のラインとか髪の位置まで気にして、真剣に向き合ってました。例えば、「踵を上げるとキレイに見える」とか考えながら撮影していたんです。当時はコンビニに行ったら水着の女の子が出てる雑誌はほぼチェックしてましたから。

グラビアを始めてから強くなったビジネスマインド

――グラビアでグループのファンを増やそうという想いはありましたか?

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京佳 もちろんです。実際、私のグラビアを入り口に夢アドのファンになってくれる方は多かったと思います。

 

――「プロフェッショナルロリ巨乳」というキャッチフレーズに対して思うところはなかったですか?

京佳 全然なかったです。夢アドのスタッフと講談社の方が決めてくれたんですけど、「いいキャッチフレーズじゃん!」と思ったくらいで。私、グラビアの仕事を始めてからビジネスマインドが強くなったんです。だから、夢アドでも「もっとこうしたら売れるのに」と思うことは多くなって。その分、やりづらさもありました。

――17年5月にはファースト写真集『Thankyouka!!!』(講談社)が発売されました。

京佳 うれしかったですね。ただ、これからは出版社や編集者を挟む形じゃなくて、セルフプロデュースでやったほうが楽しいし、そういう時代になるんじゃないかと思って。今年8月に出した写真集は自分でカメラマンを発注して、メイクやスタイリングは自分でやって、出版社を通さずに販売しているんです。

――収入面では満足してましたか?

京佳 しばらく固定給が一桁台だったので、さすがに「これは仕事なのかな?」とメンタル的に厳しくなったこともありました。それで、17年に「このままのお給料だと厳しいので辞めたいです」と話したら10万円上がって。交渉してよかったですね。他のメンバーがいくらもらっていたのかは分からないけど。