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「固定給はしばらく一桁でした」20歳の彼女がぶっちゃけた“私がアイドルだった頃”

元夢みるアドレセンス・京佳さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2020/10/10
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――プロデューサーの伊藤さんはどんな方でした?

京佳 伊藤さんはめっちゃパワーがありましたね。インディーズで2枚目のシングル『純情マリオネット』のリリースイベントで名古屋に行って、みんなで食事をしている時に伊藤さんから「俺は夢みるアドレセンスに人生を懸けている。必ずみんなを売るから」と言ってくれて、「この人についていこう」と思ったんです。それまでそういうことを言ってくれる大人はいなかったから、伊藤さんには救われました。その頃には活動も楽しくなっていたんです。

――活動していくなかで人気の優劣も出てきたと思います。

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京佳 1番と2番が可鈴ちゃんと友美ちゃんで、私はずっと3番目だったけど、それでよかったんです。大人のプッシュも違うから、覆すことはできないと思ってました。とくに可鈴ちゃんはファンとのコミュニケーションが上手いから、どんどん人気が上がっていって。あの頃は「できるだけ大人に気に入られよう」と思ってました。現場のマネージャーには嫌われていたけど(笑)。

 

モデルじゃないことの劣等感があった

――メンバーとの関係はどうでした?

京佳 男兄弟の中で育ってきたから、女の子の集団に入ることに慣れていなかったんです。だから、メンバーと仲良くなるまでに時間はかかりました。それに、中1でグループに入ったから、みんなに「いまから遊びに行こう」と言われても遅い時間だと無理だったんです。

――まわりが『ピチレモン』モデルばかりの中でコンプレックスを感じることもあったと思います。

京佳 自分がモデルじゃないことに劣等感を抱えていました。ただ、14年にミスiDのオーディションを受けた時はそのコンプレックスを逆手にとったんです(今泉力哉賞を受賞)。

――ミスiDは個性を尊重するオーディションですからね。中学生でそのようにプラスに切り替えようと思えたのはすごいですよ。

京佳 ありがとうございます。脂肪がお胸についてくれて自分の得意ジャンルができたのもプラスになりました。水着グラビアの仕事が増えてポジティブになれたんです。

――グラビア撮影をするにあたって恥ずかしさはなかったですか?

京佳 最初から恥ずかしさはなくて、「天職だな」と思うくらいでした。グラビアの現場ってお姫様扱いしてくれるじゃないですか。ライブの現場と違って、自分だけにフォーカスが当たるし、現場の方たちが絶対に「かわいい」と褒めてくれるのが楽しかったんです。