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「固定給はしばらく一桁でした」20歳の彼女がぶっちゃけた“私がアイドルだった頃”

元夢みるアドレセンス・京佳さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2020/10/10

「売れないはずはなかったんですけどね」

――楽曲的には、インディーズ時代の思春期路線から、メジャーデビュー以降はOKAMOTO'SやMrs. GREEN APPLEといった有名アーティストの提供曲が増えましたが、京佳さんはどの時期が好きでした?

京佳 インディーズ時代もメジャーデビューした後もどちらも楽しかったです。メジャーデビューを発表した東京国際フォーラムのライブはすごく盛り上がった記憶があるし、メジャー以降の『ファンタスティックパレード』や『アイドルレース』はめっちゃ好きでした。曲はいいし、顔もいいし、売れないはずはなかったんですけどね。

 

――夢アドにとって最大キャパは15年4月の中野サンプラザ(収容人数2222人)でした。ただ、その先となると3000~5000人の会場は少なくて、かといって、一気にブレイクして10000人を集客することができない、“3000人の壁”にブツかるグループは多かったように思います。その中でも日本武道館に進出するようなグループを見て感じるところはありましたか?

京佳 とくにBiSHさんなんてすごいなと思いました。もうジャンルが違うというか、カラオケで普通にBiSHさんの曲を歌ってます(笑)。アイナ(・ジ・エンド)ちゃんとはTIFの裏で話したり、たまに連絡を取り合う仲なんですけど、単純に「歌上手いなー」と感心しちゃいますもん。

――BiSHはなんで売れたと思います?

京佳 アイナちゃんが天才というのと、大人の仕掛けが上手ですよね。

――夢アドも、アイドルのことをよく分からないモデルの子たちが段々と本気でアイドルをやろうとする姿が面白かったですけどね。

京佳 うん。面白かったですよね。みんな「後戻りできない」という覚悟を持って活動していたから。私もやってよかったと思ってます。

 

――一方で、夢アドさんのメジャー感が邪魔した部分もあったのかな、と思うこともあって。

京佳  “高嶺の花”というイメージはあったかもしれません。みんなかわいかったもん。個人的には、もっとレッスンする時間があってもよかったんじゃないかなと思って。個人の仕事の関係もあって、どうしてもライブの1、2週間前に詰め込む形になってしまうことが多かったんです。元エビ中(私立恵比寿中学)のぁぃぁぃ(廣田あいか)に話を聞くと、定期的に体幹を鍛えるレッスンとかやっていたみたいなので。あとは、みんなのモチベーションの高さが噛み合わなかったのもあると思います。

――モチベーションですか。

京佳 他のアイドルグループもそうだと思うけど、誰かのモチベーションが高くても、他の子はモチベーションが下がっている時もあるし、みんなのモチベーションが高い状態で安定するのは難しいんです。女の子だから余計にそうなのかもしれません。

――モチベーションが噛み合ったグループは売れると。

京佳 そうだと思います。結局、自分たちの頑張りが足りなかったんです。

写真=川しまゆうこ

#2へ続く)

 今年9月より、プレミアムコミュニティプラットフォーム・Mi-glamu(ミーグラム)でファンクラブ「京佳の秘密部屋」を開設。京佳のギリギリのグラビアが週4回更新される。

https://mi-glamu.com/kyouka

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