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バブル崩壊期の社会情勢を背景に描かれた名作ではあるが
健吾が貴子と結婚しないと宣言した際に、貴子を想いやって健吾をぶん殴っていた熱い奴、それが時男。そんな男が健吾との破局の傷からようやく立ち直っていた貴子を、「俺は俺でありたい」というただのエゴで再び奈落の底に突き落とす。手紙ではいけしゃあしゃあと「変わらぬ仲間として」なんて言葉で、自分の自己中行動を肯定しようとする。な~にが「愛という名のもとに…」だ、とツッコミたくなったのは筆者だけではなかったはず。
「夢を捨てられない」だの「俺は俺でありたい」だのきれいな言葉ばかり並べる二人の男は、自分のエゴを貫くために貴子を捨て、去っていく。誤解を恐れずに言えば、潔癖・誠実だった女性が、そういうクズ男たちに振り回された悲劇を、強引に美談化したような物語に感じた。
社会に出るまでのモラトリアム期間に友情を深めた仲間たちが、いざ社会に出て荒波に揉まれていく姿を、清濁併せ飲むバブル崩壊期の社会情勢を背景に描かれた名作であったことは間違いない。若者たちの仕事や夢での挫折だけでなく、不倫、妊娠、汚職、自殺といったショッキングな展開の連続で目が離せず、高視聴率を獲得したことも納得できる。
ただ、この男たちの利己性を美化した物語が名作として受け入れられたのは、やはり平成初期という今から30年近く前の世相と、当時の価値観があってこそだろう。
要するに、前時代的なのである。今やったら、きっと大炎上だ。