「イギリスでは、貧乏がカッコいい」――。

 イギリスの「底辺中学」に通う息子を描いた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で数々の賞を受賞したライターのブレイディみかこさんが、そう思ったのは高校生の時だった。

 以来、イギリスに憧れてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から20年以上にわたってイギリスのブライトンで暮らしている。新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け』は、配送業のドライバーや塗装業者、元自動車派遣の修理工など、実際にブレイディさんの周りにいる労働者階級の愛すべき「おっさん」たちをつぶさにみつめ、丹念に描いた話題作だ。

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「最底辺保育園」で働いて……

 ブレイディさん自身、イギリスで保育士資格を取得し、「最底辺保育園」と呼ばれる保育園で働いていた経験を持つ。

「保育士の仕事にもすごくやりがいを感じていました。一番好きだったのはトイレトレーニング。あれは初めて子どもが他人と一緒に為す共同作業だと思うんです。自分がその片割れになって、子どもがトイレで用を足せるようになった瞬間の喜びは、本が売れた喜びよりも大きい。私をパートナーに選んでくれてありがとう、と心から思えるんです」

ブレイディみかこさん

 そう語るブレイディさんも、かつては貧しさが負い目だったという。なぜ、ブレイディさんは貧しさを肯定できるようになったのか。

「文藝春秋」10月号「有働由美子のマイフェアパーソン」で、有働由美子さんがブレイディみかこさんと対談し、ブレイディさんの「原点」と語る高校時代のエピソードに迫った。

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「どうせ遊ぶ金欲しさのバイトだろう」

ブレイディ 私はイギリスに行って救われたんですよ。

有働 救われた?

ブレイディ 私、家が貧しかったんですね。親に「自分で定期代を稼げるんだったら高校に行ってもいい」と言われたぐらい。私が行った高校はわりと歴史のある名門校だったので、バイトは禁止されていましたが、定期代を稼ぐため、学校が終わるとスーパーで働いていました。ある日、シフトに入る時間がギリギリになって、制服の上にエプロンを着てレジに立ったんです。それを見たOBに告げ口され、学校にバレてしまいました。私は「定期代を稼ぐため」と弁明したんですが、先生は「そういうことをする子どもが今時の日本にいるわけがない」と、まるで信じてくれませんでした。

有働 言い訳だと思われてしまったんですね。

有働由美子さん(※写真は5月号対談時のものです)

ブレイディ 当時の日本はバブル目前で、経済はアゲアゲ。一億総中流と言われる時代です。県立高校でしたけど、周囲には弁護士や医者など、裕福な家庭の子が多かった。先生は、まさか私みたいな肉体労働者の娘がいるとは思わなかったんでしょう。「どうせ遊ぶ金欲しさのバイトだろう」と言われてしまいました。

 その頃、私は家が貧しいことを負い目に感じていました。中学時代はヤンキーの多い学校で、周りに苦労している子が多かったので、私も友人に家の話ができたんですけど、高校に入ったら誰も貧乏を知らない。私が家の話をあけすけに話すと、みんな気分が暗くなっちゃうと思って、家の話をしなくなりました。

有働 エッ、相手を気遣って?