新型コロナウイルスによる影響が、日本各地を襲っている。感染はいまだに収束せず、政治や経済、教育の分野へと、その影響は広がり続けている。そしてそれは、スポーツの世界も同様だ。

 お正月の風物詩である箱根駅伝を目指す大学陸上部にとっても、今年は異例の1年間となっている。特に、コロナ禍での部の活動状況は、大学にそのかじ取りが任されたため、各校で大きく状況が異なっていた。

 そんな中、最も大きな影響を受けた大学のひとつが、強豪・早稲田大学である。他大学以上に厳格な指導が行われ、例年行っていた避暑地での合宿は禁止。一時は寮に留まることもできずに選手たちも帰省を余儀なくされたという。何の因果か、そんな年にチームを率いることになったキャプテンは、いったいここまで何を思ってきたのだろうか――。

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 名門・早大競走部で駅伝主将を務める吉田匠にとって、今季は“大学4年間のラストイヤー”というだけでなく“現役競技者として最後のシーズン”でもあった。

今季、早大競走部の駅伝主将を務める4年生の吉田匠 ©文藝春秋

 吉田は、今年の箱根駅伝で山上りの5区を走った後、1つの決断を下していた。

「もし区間新や区間賞など“山の神”と呼ばれるような活躍ができていたら、この先も競技を続けて、もっと上を目指そうという考えになっていた可能性もありました。でも、実際はそう甘くはなかったですね。それもあって、箱根が終わってすぐに、競技に区切りを付けようと決めました。就職活動も早い人は3年の夏には始めているし、そんなに甘いものではないのもわかっていましたから」

吉田は今年初めて憧れだった箱根の5区を走った ©文藝春秋

大学で競技を引退するという決断

 箱根駅伝は今年が初めての出場だった。一方で、吉田はトラック種目の3000m障害でも実力者だ。2018年のアジアジュニアで銀メダルを獲得し、同年のU20世界選手権でも5位入賞を果たすなどの実績を持つ。

 当然、実業団チームからのスカウトもあった。だが、吉田の決意は固かった。

 過去に早大の駅伝主将を務めた選手は、実業団で競技を続ける者がほとんどだった。現駅伝監督を務める相楽豊ら例外もあるが、実業団に進まない学生が主将を担うのは強豪チームの早大では稀なことだった。

 そんな状況ではあったが、吉田は気持ちを切り替えて、今年のチームを引っ張っていく気持ちを固めていた。実業団に進もうが、大学で競技をやめようが、目指すべきものに変わりはない。‟むしろ現役最後の1年”だからこそ、自分にしかできないことがあるはずだ――そんな風に考えていたという。そして“学生三大駅伝3位以内”というチーム目標も決まり、新チームがスタートした。