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「自分は何に向かって練習しているのだろう?」 コロナ禍に翻弄された1年で早大駅伝主将が考えたこと

「自分は何に向かって練習しているのだろう?」 コロナ禍に翻弄された1年で早大駅伝主将が考えたこと

早稲田大学競走部インタビュー#1

2020/10/15
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コロナ禍で激変した“学生最後の1年間” 

 新型コロナウイルスの世界的な流行が始まったのは、そんな矢先のことだった。そして、そこから吉田のラストシーズンは全く予期せぬ方向へと舵を切ることになる。

「最初、クルーズ船内での感染が報道されていた頃は、『そのうち収束するだろう』と思っていて、あまり重くは考えていなかったんです。東京マラソンもエリート選手だけで開催できたように、箱根駅伝にも多少の影響は及ぶかもしれないけれど、『普通に開催できるだろう』と思っていました」

 ところが、事態は収束するどころか、日本国内でも日に日に拡大する一方だった。

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 早大は、大学として全国でもいち早く対応し、2月27日には、2019年度の卒業式と2020年度の入学式の中止を発表。その4日前には体育会各部に合宿など宿泊を伴う移動を禁止するという通達を行なった。その時点では、日本国内の感染者数はクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」を除けば、まだ186人に過ぎなかった。

早大は合宿禁止などの決断が非常に早かった ©文藝春秋

 その後はスポーツイベントへの影響もどんどん広がり、3月11日には高校野球のセンバツ大会の中止が決定する。

 これには吉田の心中もざわついた。

「センバツの中止が決まったことが自分のなかでは大きくて。この時には正直、『箱根駅伝ももうないのかな……』と思いました。箱根は観客動員数が日本で最も多いスポーツイベントですし、密は避けられません。現実的に考えると、今このような世の中になってしまった以上、開催するのは不可能に近いのかなと。それに仮に、この先に収束していったとしても、同調圧力があるじゃないですか。『甲子園は中止になったのに、箱根駅伝だけやってもいいのか』と、世の中の風潮がそんな風になるのではないかと思っていたんです」

 さらに、大学からは部に活動自粛の通達があり、大学の施設の使用も禁止となったため、早大競走部は一時的に寮を解散した。

 吉田も地元の京都に戻り、たった1人で練習に取り組んだ。

寮が解散になったため、地元でひとりでの練習を余儀なくされたという ©文藝春秋

 4~5人の小グループを作り、グループ単位で週に1回の遠隔ミーティングを行うなど、チームメイトのモチベーション維持にも努めた。

続々と中止が決まる競技会と見えない未来

 だが、次々にトラックの競技会の中止や延期が決まり、秋冬の駅伝シーズンもどうなるか分からない状況に、吉田自身もなかなか練習に身が入らなかったという。

「僕は、練習は試合のために行うものだと思っています。だから、『試合がないのに練習を続けるのは、意味のないことなのでは……?』と考えたこともありました。

 僕は大学で競技を終えることは決めていたので、関東インカレがなくなり、もし三大駅伝も全部なくなるのであれば、『自分は何に向かって練習しているのだろう?』と思いますよね。それに加えてケガをしていたこともあって、正直なところ、モチベーションがなかなか上がりませんでした。でも、駅伝が開催される可能性が残っている以上は、やっぱり練習は続けないといけない。何とかできる範囲で練習を続けていました」

 自粛期間中の葛藤を、吉田はそんな風に吐露する。

 これは、コロナ禍に大学4年間で競技を終える、全ての競技者の心境を代弁する言葉でもあるだろう。