“夜の店”が人口比率で日本一と言われた東北有数の繁華街、福島県郡山市。この街に“郡山の風俗王”と呼ばれた一人の男がいた。男は最盛期には36店舗を擁す「風俗店グループ」を築きあげたが、コロナ禍のいま古びた雑居ビルの一室でピンサロ1軒だけを細々と営んでいる。
彼の波乱の半生を、ベストセラー『売春島「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』の著者、高木瑞穂氏が紐解いていく。(全2回の2回目。前編を読む)
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「法律の範囲内でアイデア勝負すれば問題ない」
“郡山の風俗王”と呼ばれた伝説の風俗店経営者、伊藤守。1996年、彼が46歳にして、はじめて風俗の道に入ったのは、コンパニオン会社を手放し無収入だったところを福島市内のピンサロの社長に拾われたのがきっかけだった。
社長の指示の下、福島初の韓国エステ店を任され成功を収めるが、警察の摘発が間近に迫り、たった3ヶ月で店を畳まざるを得なかったことは、前編で紹介した。
意気消沈して地元・郡山に戻った伊藤だったが、まもなくコンパニオン業時代の従業員と2度目の結婚。妻の援助を受けて、日本人女性を雇ったエステを始める。いよいよ郡山での性風俗事業をスタートさせたのだ。
韓国エステでのノウハウを生かし、今度は伊藤とは別に名義人を立てた。加えてマッサージの先生も置いて健全店に偽装するなどそれなりの口実も用意した。
それでもヌキがある以上、違法店に違いはない。結果、半年後、伊藤は風営法違反(無許可営業)の容疑でパクられた。
「オープンして2週間後、誰かがチクって一度、警察が『やめろ!』って乗り込んできたことがあったの。私は業界のことに疎く、手コキなんてどこもやってるもんだと思ってたから、その警告を無視して一旦はヤメたふりをしてまた看板替えて始めたんです。
ところが甘くなかった。30万の罰金刑で20日間拘留された。警察や検察で取り調べを受けるなか、そこで初めて風営法が何たるかを学びました。なぜ手コキのエステはダメで、より過激な口でのサービスがあるピンサロが堂々と営業を続けられているのか。法律の範囲内でアイデア勝負すれば問題ないことが身に沁みて分かりました」