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「面接した女のコは6000人、うち800人は…」筆者も驚いた“郡山の風俗王”が生み出した革新的サービスとは?

ベストセラー『売春島』著者が徹底取材

2020/10/11
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「レンタルルームを立ち上げた頃には風営法のラインを熟知していたからもう、慣れたものです。同じ建物に事務所を構えたりしてはダメ、呼び込みもダメ。見よう見まねでヤクザが始めたレンタルルームは部屋に女のコを待機させてたから警察に踏み込まれた。対して私は警察とツーカーで、そういうノウハウを生活安全課のオマワリから聞いてね。

 レンタルルームは一気に8店舗になるなどすごい勢いでした。最初からイメクラ風にしようと考えてたかって? そうですよ。私はとにかく人を驚かせたり喜ばせたりするのが好きだから。覗きの出来る部屋、吊革を設えた電車風の部屋、学校の教室風、跳び箱とマットが敷かれた体育倉庫風の部屋。自分は興味ないですよ。イメクラだって行ったことない。でも、生きている中で知るでしょ、イメクラの存在くらい。

筆者も訪れた伊藤が経営していた画期的なレンタルルーム(2008年9月、著者撮影)

 要は客目線で作っただけ。ウチのレンタルルームに入ってデリヘル嬢を呼んだ客がどういう目的で来たのか。女子高生の制服が好きな人がデリヘルで制服のオプションを付ける。なら部屋も教室風にしちゃえ。そんな客の妄想を具現化しただけで。

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 でも、実は私がやった商売で一番当たったのはメイドキャバクラ。最初は生理でデリヘルをお休みするコを集めてスタートしました。ちょうど東京・秋葉原でメイド喫茶がブームの頃でした。郡山は田舎町だから、喫茶店は無理だと踏んで飲み屋にした。もちろんメイド喫茶もメイドキャバクラも郡山はもちろん東北全域にすらない。

 すると見事にヒットした。東北にもいろんな人種がいるんだよね、ぬいぐるみをいっぱい持って遊びに来たり、アニメ柄のリュックを背負って来るオタクが。自然、ウチで働きたいって女のコも集まってきて、最終的には5店舗まで増えました。ところが男子従業員が育たなくて結果、泣く泣く閉めた。これは私の誤算だね。女のコの扱いは得意だったけど、男はダメで」

「ヤクザはみんな面倒見ましたよ」

 伊藤は、どうすれば客を喜ばせられるか、常に頭を巡らせていたという。欲望はカネに化けるからなのかと聞けば、それは違うと否定する。

「だって私の生き方を考えてみてください。突拍子もないことばかりでしょう。カネは二の次。知恵を絞って店作りするのってホント、楽しいの。コンセプトはもちろん、屋号を決めたり店舗デザインなどする、全てが。ただそれだけのこと。ヒトがね、特に女のコが好きで、彼女らが働く場所を提供する。オンナを扱う商売だけは誰にも負けたくないっていう思いがあるんです。自分が一番だと思ってるんです」

郡山の歓楽街の街並み(2008年9月、著者撮影)

 結果、“郡山の風俗王”と呼ばれるまでになった。絶頂期は東日本大震災直前の2010年、伊藤が還暦を迎えた頃だった。

「といっても、カネ儲けなんて考えてないから年商7億程度だけどね。従業員も男子スタッフ含めて250人くらい。年収? 出来るだけ社員に還元してたから私の取り分は2千万くらいですよ。その代わり無借金経営だった。店舗展開も全て会社のカネです」

 自分の食う分だけを確保し、残りは妻に送る。会社に残ったカネは全部、新店舗に注ぎ込んだという。