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「軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化した」朝ドラ『エール』はなぜ凄惨なインパール作戦を描くのか

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2020/10/14
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主演俳優2人の魅力

 窪田正孝という俳優の中には、繊細で非男性的な少年の顔と、揺るがない強さを求める男性的な青年の顔が混在し、相克している。『アンナチュラル』で演じた六郎、『Diner』で演じた殺し屋スキン、直前に公開され圧倒的な評判を呼んだ主演映画『初恋』で演じたボクサー葛城レオにも、繊細さと強さの間を揺れ動く魅力がある。それは『風立ちぬ』で描かれる堀越二郎、その声優に起用された庵野秀明が作り出した『エヴァンゲリオン』の碇シンジをどこか思わせる。

 二階堂ふみは16歳にして『ヒミズ』で第68回ヴェネツィア国際映画祭最優秀新人賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を共演の染谷将太とともに日本人初受賞して以降、自分の強い意志で俳優としてのキャリアを築いてきた。岡崎京子の伝説的漫画を映画化した『リバーズ・エッジ』では自ら企画段階から意欲的に動き、監督が決まらず制作が停滞する中、釜山映画祭で会った行定勲監督に作品の監督を直接交渉するという、半ばプロデューサー的な働きを見せている。

 圧倒的な演技力で数多あるオファーの中、『エール』を出演作に選んだのも、スケジュールを犠牲にして出演するに値する作品になるという判断があったのだろう。

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二階堂ふみ ©時事通信社

朝ドラの歴史に残る一週間

 第85話、劇伴の音楽もなく、戦地への慰問をめぐり対立する無言の間をやぶり「みんな頑張っている。僕だけ逃げるわけにはいかない」と口を開く主人公を演じる窪田正孝の演技には、少年のように繊細な音楽家としての感性が、強くあらねばならないという社会的な男らしさに絡めとられていく戦争の構造が見事に表現されている。

 それに対し「逃げてません。曲を作っているじゃない。いっぱい作っているじゃない」と反論する妻・音を演じる二階堂ふみの演技には微かな怒気が含まれている。この血相を変えた怒りを演じるために、二階堂ふみはあえてそこまでのシーンで妻・音の強さを抑え、音の怒りに鮮烈な印象を与えている。 

 戦争に向かう社会の中で若い2人の男女が男らしさと女らしさの間を揺れ動く、才能ある若き俳優たちの優れた演技が成立させているシーンだった。いまだ感染の危険に翻弄される中、恐ろしいほど修羅場に強いこの2人の若き俳優が主演をつとめるタイミングだったのも、運命的な巡り合わせを感じずにはいられなかった。 

 意を決した脚本家が書き、肝の据わった若手俳優たちが演じる戦場の物語は、今週そのクライマックスを迎える。

 海外渡航が制限され、スケジュールが逼迫し、感染症による再中断のリスクに神経を尖らせる中、大規模なセットや海外ロケなどのぞむべくもない。舞台の上で演じられる剥き出しの演劇のように、ただ脚本と俳優の肉体だけで挑む、朝ドラ史上かつてない戦争描写である。平日の時間帯には見られない視聴者も、土日に再放送や配信サービスで見ることが可能だ。

 10月14日、水曜日の放送ではGReeeeNの主題歌を背景に主人公たちが微笑むタイトルバックがカットされた。そこで描かれるのは凄惨な戦場の現実だ。

「僕は何も知りませんでした、ごめんなさい」窪田正孝が演じる主人公は呻くようにつぶやく。その前日13日、火曜日に兵士達が笑顔で語った「今日は自分たちにとって夢のような日であります。先生の曲に勇気をもらい、出征した者も数多くおります」という音楽への賛歌は徹底的に蹂躙される。

 音楽の力がもたらした戦場の恐ろしい現実、それを脚本家がどう描き、俳優がどう演じるのか。朝ドラの歴史に残る一週間をぜひ目撃してほしいと思う。 

「軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化した」朝ドラ『エール』はなぜ凄惨なインパール作戦を描くのか

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