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いじめというより「心理的な虐待」

 9月にニュースになっていたが、沖縄県の小学校では、普通学級と一緒に授業を受けていた特別支援学級の児童が騒いだ際に、女性教員が「うるさいと思う人、邪魔だと思う人は手を挙げてください」と普通学級の児童に挙手を求めていたことがわかっている。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 教員は騒いでいた児童を教室の後ろに立たせ、挙手しなかった児童の手首をつかんで「あなたも支援学級に行きなさい」と発言するなどし、普通学級の児童1人が4日間学校を休んだという。

 こうして、教員による「いじめ」がニュースとして報道されるケースは、全体から見ればほんのわずかなものにすぎない。すべて列挙するときりがないが、私自身が通っていた中学校、高校でも教員から生徒へのいじめは見聞きしていたし、K先生以外にも自分のことをいじめの標的にした大人は確かに存在していた。

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 成人してから人間関係が広がるにつれ、「実は先生からいじめを受けていた」という人が決してめずらしくないことを知った。私を含めてその多くは、学校を卒業してからも何らかのトラウマや問題に何年も苦しんでいたり、人格形成にすら影響したというケースも聞いたことがある。

※写真はイメージ ©️iStock.com

 社会はこれを「いじめ」といった言葉で片付けてしまっていいものだろうか。教員から児童に対して行われる「いじめ」は特に、大人から子どもへの心理的な虐待であり、明確な加害行為だと認識すべきではないだろうか。

閉鎖的空間を作らないために

「学校」という家庭から切り離された閉鎖的空間で、私たち大人がいったいどうすれば子どもにとって安心できる学習環境を提供することができるのか、そして被害に遭ってしまった子どもをケアに繋げるには何が必要か、児童の上履きを隠した教員逮捕の報道を目にしてから数時間、考えあぐねている。

 30人ほどの子どもに対して教員が1人しかいないという点では、教員にかかる負担が大きい。また、他の教員が介入しないので、教員による「いじめ」が発見されづらいのが現状だ。