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  1982年、4月1日に生まれたキム・ジヨン(チョン・ユミ)。大学の先輩だったデヒョン(コン・ユ)と結婚、娘の出産を機に仕事を辞めた彼女は、2歳になった子どもの育児と家事に追われてばかりの日々を送っていた。  

 そんななか、正月にデヒョンの実家に赴いたジヨンは、まるで自身の母ミスク(キム・ミギョン)が憑依したかのような口ぶりで、家政婦のようにこき使おうとする義理の母に「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」と言い放つ。かねてから他人が乗り移ったような言動を取るジヨンの異変を目にしていたデヒョンは、ひとりで精神科医を訪ねるが……。   

『82年生まれ、キム・ジヨン』公開中 © 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved. 配給:クロックワークス

理解しきれずにいる夫・デヒョンの姿に自分を重ねる

 ワンオペで育児と家事をこなすジヨンに降り掛かる“女性の生きづらさ”をめぐる冷たい現実、蘇る苦い過去の数々。これらが矢継ぎ早に繰り出されるショーケース的映画と言い切れるかもしれないが、可視化された男女格差、各種ハラスメント、ミソジニーは当然のごとく文字よりもダイレクトに刺さってくる。 

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 そして、ジヨン=女性たちが強いられてきた苦渋と対峙するも、やはりどこか理解しきれずにいるデヒョン=男性たちの姿に「これは“俺の物語”でもあるんだ」とハッとさせられる。 

 これまで“女性の生きづらさ”なんてものには無縁な自分だと思っていたが、そんなことはない。そうした場面に出くわしても傍観者のままでいることで彼女たちの前に壁を築き、それでもなにも気づかず、都合よく忘れていただけだ。 

 ヨレヨレになっているジヨンに「少し休みなよ」とニッコリするデヒョン。 

 俺も息子が生まれたばかりの頃、似たようなトンマな受け答えをしたおぼえがある。 

 夜中に仕事をしていると、妻(83年生まれ)がフラフラとやってきて「私だけが損している気がする」と言われ、「休める時に休んでおきなよ」的な返しをしてブチ切れられた。こちらは家のことをきっちりやっているつもりなので「?????」でしかなかったが、産後3ヶ月間毎日、3時間おきに赤子の泣き声で叩き起こされて母乳をあげており、それは休めるはずもないことだった。 

 しかも当時は、保育園や病院といった“家の外”の用事や手続きは、すべて妻に任せていた。特に理由もなく、はじめから彼女がひとりでサクサクとやっているように見えたので、それでいいと思っていた。 

『82年生まれ、キム・ジヨン』公開中 © 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved. 配給:クロックワークス

妻が入院して分かった、子育ての真の大変さ

 そして9ヶ月後、妻に大腸がんが発覚して入院した。手術を終えて退院するまでの2週間、身をもって彼女が感じていた辛さを知った。洗濯、掃除はもちろん、息子の食事、着替え、排泄、保育園の送迎、そこへ母不在のストレスで全身に発疹が出た息子を連れて小児科と救急医療センターをはしごすることになった。 

 土足禁止の小児科で、抱っこひもをしたままスリッパに履き替える難しさ。子連れでもいけるトイレの場所は限られていて、外出中は水分を取ることも躊躇してしまうリアル。子どもを抱えたままスーパーで買い物なんぞしたら、重いものなんて買えやしない。 

  こういうことだったのかと9ヶ月前の妻の状況を追体験し、加えて授乳による疲労とがんによる不調もあったんだよなと気づいて泣いた。 
 
 こんな調子で、劇中の各シーンがことごとく都合よく忘れていたアレコレとリンクする。 

※次のページでは、現在公開中の映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の内容と結末が述べられていますのでご注意ください。