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「お客さんにタクシー運転手が多かったんです」

 竹ノ塚は、東武スカイツリーラインの東京最後の駅で、川を1本挟んで次の谷塚駅は埼玉県草加市だ。都県境に位置するこの竹ノ塚駅周辺に、フィリピンパブが集まり始めたのは、バブル崩壊前の1980年代に溯る。フィリピンを中心に、アジアから日本へ出稼ぎに来る女性たちが「ジャパゆきさん」と呼ばれ、流行語になっていた時のことだ。

 開かずの踏切から東に延びる道路の両側は当時、2階建ての貸店舗で、肉屋、歯科医院、スポーツ用品店、八百屋などが軒を連ねていた。やがて細長い雑居ビルに建て替えられ、水商売の店やフィリピンパブが入居し、現在の形になった。

アニーが「8000いくら」で買ったという体温計

 事情に詳しい地元の飲食業界関係者は思い出したようにこう口にした。

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「竹の塚は昔、『リトル歌舞伎町』と言われていました。バブル崩壊前のフィリピンパブにはお客さんの行列ができていたのを覚えています」

 マニラで生まれ育ったアニーは18歳の頃、知人の紹介で知り合った日本人男性との結婚を機に来日した。1990年のことだ。その後、スーパーやクラブなどで働いてきた。竹の塚にカリンをオープンさせたのは2010年5月。夜間だけ営業する周囲のフィリピンパブとは異なり、早朝から営業するのが売りだった。アニーが振り返る。

「お客さんにタクシー運転手が多かったんです。彼らは朝仕事が終わるので、その時間に合わせて開くことにしました」

 

 午前5時~午前11時は飲み放題、歌い放題、しかも日本の定食付きで3時間2000円。その後も営業は深夜まで続き、1時間~1時間半に短縮されて2000~2500円となるが、それでも日本人ホステスがいるクラブの半額程度で済むため、カリンは中高年層の憩の場として親しまれてきた。

「お客さんは1人もんが中心ですね。みんなストレス解消っていうか、寂しくなったらここに来る。そういう人たちってだいたい同じこと考えている。心の中は本当は寂しいんだけど、どこか威張っている。やっぱりプライドがあるから認めたくないんです。だからお客さんにとって、ここはオアシスな場所だと思うよ」(アニー)

テレビで一躍有名、嫌がらせも

 そんなカリンを密着取材した模様が今からちょうど5年前、NHKの「ドキュメント72時間」で放送された。これがきっかけで度々メディアに取り上げられ、カリンは竹の塚で一躍有名になった。

 ところが、他店からのやっかみを買うことになり、嫌がらせにつながったと、アニーは述懐する。

「周りの人たちから『いつも忙しそうね』と嫌味を言われました。呼び込みの人に『カリンはどこですか?』と尋ねると、『今日は休みだよ』と勝手に説明され、他の店に案内されることもありました」