それでも店は常連たちになくてはならない存在となり、オープンから今年でちょうど10周年を迎えた。記念イベントはコロナのために見送られ、9月半ばの本格再開後も厳しい状況が続いていた。50歳を目前にしたアニーもまた、今後の道をどうするかで考えをめぐらせていた。
昼の仕事に就くも「解雇」
アニーは現在、店には週2日ぐらいしか顔を出さない。それもボランティアだ。
「私がお店に出ちゃうと、他の女の子の仕事取っちゃうでしょ? ただでさえ出番が少ないのに、私が出るとさらに少なくなる。他の従業員に給料支払えなくなるから、私と店長は我慢しているの。私の息子がもし小さくて学校へ行かせていたらやってけないけど、息子はもう働いているから、私は給料もらわなくても大丈夫」
アニーは店が長期休業している間の6月、病院で働き始めた。看護補助の仕事だったが、竹の塚でクラスターが発生した途端、「お休みして下さい。また電話します」などと突然言われ、以来、梨の礫だという。
「病院で働いている間、感染しないようにお店を休んでたの。昼間の仕事あるからみんなにお願いしますと。病院の仕事真面目にしてたのに……。心痛くて涙でうるうるしちゃった。私なんて3回もPCR検査をやってるのよ! それでも辞めさせられたんだから。ちょっと差別かなと感じたけど、竹の塚のお店で働いていることも伝えていたからしょうがないね。お店で働いているフィリピン人はいつ感染するか分からないって。それに病院だし、私のせいでおじいちゃんたちが感染したら可哀想だからね」
「私も若くないし、お店もいつまでもやれない」
このためアニーは区内の介護施設に転職し、週に3~4日出勤している。今後は介護福祉士の資格も取得したいと意気込んでいる。
「老人ホームの仕事がだんだん楽しくなってきているの。おじいちゃん、おばあちゃんが可愛い。『ありがとう』と言われると、こういうのもいいなあって。私も若くないし、お店もいつまでもやれない。50歳になったら店を誰かに任せて引退し、違う道に進もうかなと思っている」
その方向性について、アニーはこんな構想を抱いている。
「大使館とか入国管理局で通訳として働きたい気持ちがあります。介護の仕事はステップアップだと思っている。お店をやりたくないわけじゃないけど、お店とは別のことをやってもいいかなと。コロナがなくなって安全、安心になったら通訳とか法律関係の勉強をしたいですね」
竹の塚に並ぶフィリピンパブの、一時代を築いたといっても過言ではない店「カリン」。ママ、アニーは、コロナを機に、新たな岐路に立たされている。
写真=水谷竹秀