一審では「罪の大きさを自覚している」と悔いていた被告
事件当日。自宅隣の小学校で運動会が開かれていたところ、熊沢被告は昼食の準備中に英一郎さんの「うるせえな、ぶっ殺すぞ」という言葉を聞いた。その後、2人の視線が合う。英一郎さんは両手の拳を握った体勢で、強い口調で「殺すぞ」と言って被告をにらんだという。
そして、被告は覚悟を決める。英一郎さんの遺体には首などに36カ所もの傷が残っていた。被告は1審の法廷で「できるだけ寄り添ってきたが、つらい人生を送らせた。息子を手にかけてしまったという罪の大きさを自覚している」と悔いた。
検察側の懲役8年求刑に対し、弁護側は「経緯や動機に酌量の余地は大きい」と執行猶予付きの判決を求めた。これに対して1審が出した結論は実刑判決だった。判決後に記者会見した裁判員の1人は「(被告に)同情や共感もできたが、事実だけで判断しなければならない」と述べ、殺人という事実を重視したことを示唆した。他の裁判員は「自分の家族の幸せ、父親としての責任をもう一度考え直すきっかけになった」と振り返っており、子どもを持つ親が我が身と重ね合わせて悩んだ末の判断と窺えた。
一転、10ヶ月後には無罪を主張
1審判決に対し、熊沢被告側は「事件に至った経緯や動機について量刑に大きな影響を及ぼす事実誤認がある」として控訴していた。そして、約10カ月を経て控訴審のフタが開いてみれば、想定外の「無罪主張」だった。
弁護側は控訴審第1回公判で、事件当日、英一郎さんが至近距離でファイティングポーズの構えをし「殺すぞ」と発言したため、熊沢被告は包丁で抵抗するしかないと考え、もみ合いになって刺してしまったとして「正当防衛が成立すると考えるのが実態に即している」と訴えた。また、1審で正当防衛を主張しなかった理由については「罪を償いたいという被告の意向や、短期間で結審する裁判員裁判の特性も考え、争点を絞って早く裁判を終わらせた方がいいと考えた」と説明した。
今回のタイミングは、事件の質は全く異なるものの、池袋暴走車事件で自動車運転処罰法違反(過失致死傷)に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)が無罪主張してから約10日後の出来事となった。社会的地位が高い高齢男性が被告となっている事件で相次いだ無罪主張ということもあり、再び注目を浴びた。