「計画性のない突発的な犯行」で量刑を争った一審
検察側が描いた構図はこうだ。英一郎さんは中学時代にいじめに遭い、家族に暴力を振るうようになった。大学進学後に1人暮らしを始め、卒業後に職に就いたが、08年に無職になり、1人暮らしのまま部屋にこもってゲーム浸りの生活をするようになった。
事件発生の1週間ほど前、英一郎さんが体調不良を訴え、両親の元に戻ってくる。しかし、熊沢被告に激しい暴力を振るったことから、被告は殺害を決意。妻に「これ(殺人)しか方法はない。どこかで死に場所を探します」と記した手紙を渡したという。
1審で弁護側は「事件当日に英一郎さんから『殺すぞ』と言われ、とっさに包丁を持ち出して刺した」と訴えた。「正当防衛」の主張はなく、計画性のない突発的な犯行だとしてあくまで量刑を争うスタンスだった。
精神的に不安定だった息子に寄り添っていた
裁判の中で明らかになったのは、社会的地位のある父親と対照的な自身の不遇を憂える息子の「八つ当たり」とも思える言動だった。再び3人で暮らすようになった直後、英一郎さんは「お父さんはいいよね。私の人生は何だったんだ」と声を荒げたという。
英一郎さんは些細なことで激高し、熊沢被告の髪をつかんで頭を鉄製ドアなどに激しく打ち付けたという。妻はあくまで熊沢被告の側に立ち、法廷では「英昭さんは英一郎のために一生懸命だった。刑を軽くしてください」と訴えた。
1審公判の中では、英一郎さんが父親を誇りにしていた時期があったことも浮かんだ。友人には「父は農水省の事務次官で、BSE問題について批判を受けながらも解決に導いたすごい人」と自慢していたという。一方の熊沢被告の方も、精神的に不安定だった息子に寄り添おうとした。農水省退官後は、05~08年にチェコ大使を務めていたが、国際電話などで息子と接点を持つようにしていた。アニメ好きな英一郎さんに同人誌即売会への出店を勧め、売り子役を買って出たこともあった。
しかし、英一郎さんは職場で上司とトラブルを起こして無職になると、引きこもりがちになった。再同居後、熊沢被告は英一郎さんから「お前らエリートは俺をばかにしている」との言葉も浴び、暴力を受けたという。